昨日朝メールを開けたら
高校時代の仲間のお母様の訃報が届いていた。
〈同級生10人ほどで同じメールを出し合っている。)
すぐにその返事をこんな風に書く。
「そうでしたか。
一度よくなられたと聞いていたので安心していたのですが。
行きつ戻りつ、そうやって、一週間○子さんも看病できて、お母様はお別れをされたのですね。
ご冥福をお祈りいたします。
そして
おかあさまはいつでもあなたのそばにいる、
そう感じてこれからも元気に生きていってください。
いえ、生きていきましょう。
以前
私も例え破れ傘でも良いから、と思い、ブログにも書いたことがあります。
自分の上にさしかけられていた優しい傘が無くなってしまう、
どんなでしょうか。
思っただけで泣きそうになります。
私も母との時間を大切に暮らそうと思います。
お体に気をつけて
心に思ったことで言っちゃいたいことはメールなどで、
たくさんの友達がいるんですから。
それでは また 」
で、その「破れ傘」の記事を探してみたが
下書きしたのみで投稿していなかったようだ。
2006年7月に書いたこんな文だった。
タイトル 友との電話…破れ傘でも
「電話が鳴った、友人から。
メールの返事がなかったので心配していたら、
パソコンの調子が悪いということだった。
彼女には90過ぎた病気持ちのお父上がいる。
だから連絡無いと「もしや・・・」と心配してしまうのだ。
電話でいろいろ話す。
いろいろと大変だろうけれど、がんばって。
たぶん私の想像だけれど、
両親が義理も含めて4人ともこの世からいなくなってしまったら
我々が一番上になってしまう。
それはきっと大変なことだろう。
少々破れた傘でも(失礼!)
我々の上に傘が差しかけられていることはそれだけで安心なのだと思う。
そのおかげで風雨に直接さらされることも、まだ免れていることが多いのだと思う。
たぶん・・・
破れ傘でも、その有り難さに
無くなった時の風雨で気づかされるに違いない。
だから
どんなになっても私の親でいて、そう思う。
精神的にも
現実的にも世間の荒波にさらされるにはまだ甘いから
きっと天国のお母さんが御父様のことも守ってくれているのよ。
そう話しながら、自分のことも思った。
いくつになっても新しい経験があるね。
「父のことを見てると切ない。切ないってこういうことを言うのだなあ、」と彼女は言う。
私はその言葉をかみ締める。」
なぜ投稿しなかったのか、わからないが
書いた気持ちは今も変らない。
この記事を見つけたその後、エアロに行く前に
母に炊き込みご飯を届けようと用意していた。
家を出たとたん、足を痛めてエアロは断念し、
母へのそういう思いを心に貯めて
一緒にコーヒーを飲みながらいつものように笑って話す。
暖かな日差しが柿の木越しに見える平和な時間。
「じゃあ、来週病院の日に来るね。」
足に張るシップをもらって、車から手を振る。
よく妹が言う。
「お母さんは幸せだね。」と。
毎日のように誰かが訪ねてくるから。
確かにそうかもしれない。
でも、こうも思うのだ。
「私たち姉妹も、今も母がいて母と楽しくおしゃべりができて
本当に幸せなんだよ。」と。
お互い幸せと思って
今日も笑っていきましょう、ね。
帰ってメールを開いたら
同じ訃報を読んだ、
早くに(19や29才の時だった、と書いてあった)母をなくした友たちのメールが届いていた。
「私は幸せ」
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