お引越し
新しい年号、令和に合わせて(というか、容量がいっぱいになったので)
切りよく、お引越ししました。
というか、
出戻り!?です。
長いこと(2006年~2019年)お世話になりました。
ライブドアブログへ。
あちらでまたお会いしましょう。
お待ちしています。
新しい年号、令和に合わせて(というか、容量がいっぱいになったので)
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あちらでまたお会いしましょう。
お待ちしています。
いよいよ平成の時代が終わる。
テレビはそれで忙しい。
あまりそのことについてどうこうは思わないが、
平成すべてを結構な「おとな」で生きてきたものとしては
懐かしく、ここで一つ確認しておこうという気にもなる。
「平成」になった時よりは「令和」になったことの方が印象的だ。
*
まさに時代の境目ということだ。
*
時間の境目ということで、こんなことを思い出した。
昔、子どもに真顔で話したことがある。
大晦日が元旦に変わる境目があるのよ。
瞬きしているとわからない一瞬がその境目だよ。
新しい年はぴかーっと光ってやってくるの。と私。
眠いのに
一生懸命起きてその時を待っていた息子には申し訳ないことをした。
その後は
「お母さんのいうことの半分は冗談だ」とわかって
しっかり、自分で判断するようになった、と思う。
いまではこちらの「言い間違い」までも聞き直されるようになった。
わかっているのに
わからないふりをして、聞いてくる、全く困ってしまう。
って、
自分が気が付けばいいだけなのに。
*
とにかく
今日一日は平成、(あと何時間?)
明日からは令和、ということだ。
*
ということで
切りよくこのブログもここでお引越しいたします。
なにしろ、ディスク使用量95パーセントなので。
今後ともどうぞよろしく。(引っ越し先)
今日も母は元気でした。ほっ!
先週まで咲いていなかったナニワイバラが咲いていました。
去年、あんなに短く切り取られてしまったので
今年は咲かないかなと思っていましたが、
いつものように大きな花を咲かせてくれました。
一応、我が家方面では「私の花」ということになっています。
私が友達のお義父様にお願いして挿し木をもらったからです。
だから枯らすことはできません。
「咲いていたでしょ?」と母。
「うん、咲いていた。」と私。
「根性あるんだね、あの花(だから大丈夫、ということみたいでした。)」
その前に
先日大学病院に行ってきたことの顛末を、散々話したので。
もっと大きくなっていいところ、道路にはみ出さないところに、植え替えるため、
今年は挿し木をしようと思いました。
伸びすぎて、道行く人のご迷惑になるといけないから…
これから、たくさん太陽を浴びて、水を吸って、元気に大きくなってほしい。
*
先日の病院後、娘に電話をした。
「どうだった?」
「それがね、かくかくしかじかで・・・
朝起きた途端、倒れそうになっちゃってね。
よっぽど病院に行くのが嫌だったんでしょうね。」
すかさず、娘が答える。
「PTSDか!(そうかもしれないね。)
お母さん!お母さんもそうかもしれないけど、私たちだってそうなのよ。」
「そうか」(それは思わなかった)
「いい思い出ないものねぇ。」(たしかに)
入院後半になって、週末1泊だけ家に帰った時のこと、
ある時、娘一家の車で病院に送ってもらったことがある。
毎週見舞いに来てくれたまごっちが
車の中から「ばあ、あそこに見える建物がバアの病院だよ。」と
説明してくれた。
外からはあまり見たこともないその病院を、マゴッチは何度も来てくれていたことを思った。
三歳になったばかりなのに、いとおしくやさしいなと感じたものだった。
こうしてまるまる10年経っても
生々しくみんなの心に残っているのだ。
そういえば息子1も
救急車で運ばれた日あたりは、なにかドキドキしてしまうといっていた。
その時は夫は出張中で、息子が一人で対応したのだった。
*
これから一年に一度
定期点検(?)をしにこの病院に来て、
あの時、命を得たことに感謝して、
また一年、生きたことを確認していこう。
命あることの感謝でつらい思い出を「上書き」していけたらいいな、と思った。
今年の1月に今行っている大学病院から
紹介状をもらっていた。
しかしなんだかんだと行き遅れて、
昨日になった。
行く日が近づいてくると、気が重い。
いいことがあまりないような気がしてくるのだ。
案の定
目が覚めたら
めまいがする。
夫は「別の日にしようか。」と言ってくれるが
いつまでも伸ばしていても仕方ない。
たのしく有意義な連休のためにも・・・
少し遅くになったが、行った。
それだけ緊張していたのだ。
*
10時半ごろついて、
CTやレントゲンを撮り
先生にお目にかかったのは、2時。
まあ、今のままで大丈夫と言われたので
良しとしよう。
耳鳴りはそのボリュームを上げているが。仕方ない。
*
そして、一年に一回
予約を取って、こちらの病院でも、みてもらうことになった。
半年の入院手術をしてから、ちょうど10年になる。
無事に今まで生きてこられて
本当に幸せだったと思った、
病院での待ち時間であった。
ウナギで遅い夕食を取り、
家に戻った。
待ちくたびれた、精神的に疲れた一日だった。
*
家に帰った。
マンションの入り口の小さな花壇に咲いた
ミニマーガレットの海が
光り輝いて疲れた心を
ポッと緩めてくれた。
家から一番近いポストは
家から30メートル無いぐらい。
ちいさなスーパーの横にある。
手紙を出そうと出かけたら、あらら
何十年もそこにあったそのポストが無いっ!!
下にはコンクリで固めた撤去した跡がある。
実はそこから歩いてすぐのところに郵便局があるので、
そっちを使えということか、
これからもっと高齢者社会になるというのに
なんという不親切だ、
などと心の中でプンプン言いながら
歩いていたら、
道の向こうに見知った人が。
「あら!」「あれ?〇さん!」
子どもが上も下も同じ学年で
子供が幼稚園の時から
ずっと仲良しだった。
テニスをしているときはしょっちゅう一緒だった。
久しぶりに立ち話。
*
そこに
買い物に行っていた夫が車で帰ってきたのが見えた。
実は鍵を閉めてきたと話をしたら
その友人が私が届けてあげるから、ポストに行っておいで、という。
お言葉に甘えてポストに郵便を出しに行き、
戻ってきても
まだ二人で車の前で話をしている。
*
今度は三人で
しばし話す。
連休中に片づけをするから
そのあと遊びに来てね、ウン十年変わらない言葉を言う。
*
ほんとに久しぶりで会えて、うれしかった。
ポストが無くなって、
遠くまで(?)歩いて行ったら
懐かしい友に出会った。
嬉しかった。
*
〈後日談〉
息子に手紙を出しに
今までより、ちょっと遠くの郵便局のポストに行って
帰って来たら、下の郵便受けに、
友人と会った時に出してきた、そのタケノコのお礼のはがきが
料金不足で戻ってきていた。
私はその日、そのまま、
くるりと向きを変え、果敢にも(大げさな!)二度目のポストに出かけた。
まったく
自慢じゃないが
おっちょこちょいであります。
我が家にも昔ピアノがあった。
この本を読んでつらつらおもうに、我が家のピアノはかわいそうなピアノだった。
申し訳ないと思った。
なぜなら、「私のピアノ」という立場にありながら、
私の愛情があまりなかったからである。(つまりどういうことだ?練習しなかった?いい音楽はできなかった?)
*
この本はとても人気のあった本で、
私は今まで読んではいなかった。
きのう、
図書館に行ったとき
棚においてあるのを見つけ、
即、借りてきた。
*
初めの数ページをめくりながら
なんと美しい文章かと思った。
すぐに引き込まれた。
北国の
森の匂いが、風が、水の流れが、そこに漂うような。
孤独な青年の心と一緒にそこにいるような。
彼は
自分の育った、何もないと思っていたその森が
自分をまっすぐに育ててくれたということを、やがて気づいていくのだろうか。
むしろありがたい自然、一般の人には得られない自然なのだと思う。
2016年本屋大賞受賞。
2018年、山崎賢人君主演で映画化もされているようだ。
ネットで見たら、その映画の、森の映像がとても美しかった。
音楽もいいようで、いつか観てみたい。
主人公はこれからも「羊と鋼の森」を力強く、歩んでいくことだろう。
先を知りたい。
ゆるされている。世界と調和している。それがどんなに素晴らしいことか。言葉で伝えきれないなら、音で表せるようになればいい。ピアノの調律に魅せられた一人の青年。彼が調律師として、人として成長する姿を温かく静謐な筆致で綴った、祝福に満ちた長編小説。
(2015/9/11)19
昨日日曜日
母のところから帰ったら
玄関に宅配便の「不在票」が入っていた。
差出人を見て、「あ、たけのこだ!」(うれしぃぃぃぃ!)
早速連絡して、
届いたのは「大きなダンボ―ル」
中には
程よい大きさのタケノコ5,6本
菜の花(辛し和えにしよう)
キャベツ、
本当に、いつもありがとうございます。
タケノコは早くゆでるのがいいと、写真を撮るのも忘れた。
煮たのをもっていってもらおうと思ったのだ。
他に
ホウレンソウと実家から採ってきたさやエンドウも持って行った。
なかなか実が付かなかったさやえんどうも今ではこんなに・・・りっぱになって・・・(泣)
昨日はこの3倍採れました。
新中学生の毎日のお弁当の
付け合わせの緑にちょうどいいと思ったのだ。
ご両親たちは毎日交代でお弁当を作っています。
がんばれ!
そして、Tさん、ありがとさん。
昨日までおっとっとが出張だったので、
今日、母のところに行ってきた。
いつものように一緒にお昼を食べて、
(今日はお弁当に、シシャモを焼いたもの〈母はこれが結構好きである〉、
それから我が家のベランダのホーレンソウを摘んで持って行ったもので、胡麻和えを作った。)
庭のエンドウ豆を採取して
茹でて、マヨネーズで食べた。(すべてby おっと)
私はこの間母とおしゃべり。
新鮮な緑は皆、美味しかった。
*
さて、この本は筆者言うところの「桜風堂ものがたり」の姉妹本という。
なるほど、同じく、ほんわかとして、幸せを感じられる内容は同じと思った。
こちらの方が、よりどこか非現実的なところのあるお話といえるかな。(猫のところが)
はっきりした「ファンタジー」というわけではないが…
いいひとばかりのはなしではある。
幸せの白い猫は確かにいたのか、いなかったのか。
*
結果は分からないけれど、
コンシェルジェの働きで
不思議な百貨店として生き延びられたら面白いけれど。
それではおとぎ話になってしまうか。
信じるところに奇跡あり。
私は信じる、星野百貨店が生き残ることを。
(2017/10/5) 18
内容紹介
時代の波に抗しきれず、「閉店が近いのでは?」と噂が飛び交う星野百貨店。エレベーターガール、新人コンシェルジュ、宝飾品売り場のフロアマネージャー、テナントのスタッフ、創業者の一族らが、それぞれの立場で街の人びとに愛されてきたデパートを守ろうと、今日も売り場に立ちつづける――。百貨店で働く人たちと館内に住むと噂される「白い猫」が織りなす、魔法のような物語!
火曜日から
昨日金曜日まで、
先週に引き続き、
第二次新学期応援週間ということで
娘のところに行ってきました。
実を言うと
一泊か二泊で
と思っていたのですが
ちょうど(?)
マゴッチ2号が、私が行った日に
足を怪我して、
送り迎えをすることになり、
昨日までその任務を果たして帰ってきたというわけです。
少々疲れましたが、
規則正しく歩き、
疲れて帰ってくる娘のかわりに夕食を作り
(と、家でもそんなにしないことに励んだ結果・・・)
でも、今はかりに乗っても、体重は変わらなかった。残念。無念。
というわけで、
ブログにアップすることができませんで。
ブログ上では、私の今週は飛んでしまいました。
来週から普通通りになる、かな。
でも、その代わりにたくさん孫たちと接することができました。
だいぶ前、友達と
フランスにツァーで行った。
ゴッホの住んだアルルにも行き、跳ね橋や病院など、いろいろ関係のある場所にも行った。
弟テオの協力のもとゴッホは絵を描いていたとは知っていたが、
これほどまでに
力を尽くしていたとは思わなかった。
あの時
もう少し知識を深めていたら
もっと感動が深まっただろうと思った。
前に読んだ「盤上の向日葵」にもゴッホの向日葵が出てきたが、
ここのところ
ゴッホだらけ、であります。
ゴッホの絵はいろいろ見てきたけれど、
また見に行きたいと思った。
誰も知らない、ゴッホの真実。
天才画家フィンセント・ファン・ゴッホと、商才溢れる日本人画商・林忠正。
二人の出会いが、〈世界を変える一枚〉を生んだ。
1886年、栄華を極めたパリの美術界に、流暢なフランス語で浮世絵を売りさばく一人の日本人がいた。彼の名は、林忠正。その頃、売れない画家のフィンセント・ファン・ゴッホは、放浪の末、パリにいる画商の弟・テオの家に転がり込んでいた。兄の才能を信じ献身的に支え続けるテオ。そんな二人の前に忠正が現れ、大きく運命が動き出すーー。『楽園のカンヴァス』『暗幕のゲルニカ』の著者による
アート小説の最高傑作、誕生!
(2017/10/25) 17
4月
新年度が始まった。
我が家では恒例の「新学期応援月間」が始まった。
って、勝手に、そう言っているわけですが
で、娘のところに行ってきました。
その二日目、
どちらかというと
孫たちに連れて行ってもらった感じ。
案内図をプリントアウトしていったが、
川の両側に連なる、きれいな桜を
ほんの少し歩いただけで堪能することができた。
ひそかに
中山道の「板橋(いたばし)」という名所に行きたいなと思っていたが、
なななんと
少し歩いて着いた橋がその「いたばし」であった。
旧中山道の道が川を渡っている。
空は青空
桜は青空に映える。
橋の欄干越しに桜。
いいですね。
帰りは地下鉄に乗って元に戻り、
早めのお昼のイタリアンを3人でバクバク食べて
帰ってきたのはお昼過ぎ。
いい天気でよかった。
今年の桜はこれで良しとしようか。
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