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2018年11月24日 (土)

箱根板橋パート2

183185(続き)

少し離れた常光寺です。

クリックすると

寝ている犬がかすかに見えます。

本堂の段の先に大きな犬がぐたーっと寝ていました。

起こさないようにかなり遠くから写真を撮ったら、さすが、起きました。きょとーん。なんじゃ。

かわいいです。そばに行って吠えられるのも嫌なので、そこからお参りしました。

宗福院 板橋地蔵堂

187弘法大師の作ったお地蔵さま、「村人はこの〝お地蔵さま″を箱根湯本宿の古堂に祀ってお祈りをつづけてきましたが、永禄12年(1569)香林寺の第9世理琴文察大和尚が、弘法大師の二大誓願を西湘一円に広めようと発願し、現在地に身丈8尺の大坐像をつくり、その懐中にご本尊を遷座いたしました。それ以来、約440年の長きにわたり、多くの人びとの信仰を得て現在に至っております。」

 

『地蔵堂は江戸中期に建立された建物で、神奈川県下唯一の黄檗風仏殿の建築様式を今に伝えています。
平成8年2月に神奈川県の重要文化財に指定されました。」

188「福興大黒尊天」

「板橋地蔵堂の鎮守〝福興大黒尊天″は、もと小田原駅裏城山の一角に鎮座し、一般に〝生木大国″と呼ばれて近隣の信仰を集めていた神像です。その起源を辿れば、関東大震災の翌年、城山在住の瀬戸鶴吉氏が、東都の彫刻師をまねき、屋敷内の大楠樹(樹齢1500年と伝う)に立木のまま、地上20尺の高さに大国神像を彫り、〝福興大国神″と名づけ、震災の復興と信者の福徳招来を祈願したことに始まります。しかし、城山の中腹に仰ぎみた神像は戦時中に切り落とされて隣地に移転し、さらには宅地造成等にともない再転のやむなき状態になってきました。
186189かかる時、昭和52年5月、地蔵堂有縁の方からの要請をうけ、当地蔵堂の鎮守としてお迎えし、伽藍の守護と信者各位の福徳円満を祈願することになりました。そして同年6月4日、その移転を完了し、尊号を〝福興大黒尊天″と改め、現在に至っています
。」hpより

不思議な経緯を持つ大黒様である。

何も知らずに行ったが、心休まる場所だった。

190


香林寺
(こうりんじ)

191
道の奥にまっすぐに山門が見えている。

立派なお寺だ。

192次に、向かいの

「松永記念館」

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195196194松永記念館は、戦前・戦後と通じて「電力王」と呼ばれた実業家であり、数寄茶人としても高名であった松永安左ヱ門(耳庵)が、昭和21年に小田原へ居住してから収集した古美術品を一般公開するために、昭和34年に財団法人を創立して自宅の敷地内に建設した施設です。昭和54年に財団が解散し、その敷地と建物が小田原市に寄付されました。 

昭和61年に移築した野崎廣太(幻庵)の茶室「葉雨庵」や、補修保存工事後に平成13年から公開している安左ヱ門の居宅「老欅荘」など、国登録有形文化財となっている貴重な建物も見学及び利用できます。 

また、庭園は平成19年2月「日本の歴史公園100選」に選ばれ、四季を通じ様々な花を観賞できます。』

内野邸177
180「明治36年(1903)に建築された板橋・内野家(元醤油醸造業経営)の住宅は、当時流行していた土蔵造り風の町屋で、「なまこ壁」や「石造アーチ」など、和洋折衷の特徴ある意匠が取り入れられた貴重な歴史的建造物です。」182


旧東海道

173

マンホール181


なかなか楽しい3時間の街歩きでした。

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地元の駅に戻って

「うなぎ」

おつかれさ~ん

(おわり)

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