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2016年4月12日 (火)

京都御苑へ…⑦

石田駅に着いたら、15時45分ごろだった。

さて次は…と考える。

実は

朝、醍醐駅に降りたとき、京都市立美術館のポスターを見た。

モネとルノワールの二つをやっている。

行ってみようか、と話したのだ。

しかし、時間を見ると16時半までに入場とある。余裕がないのでやめることにする。

どうせなら…ということです。

さらに二条城は予定に入っていたが、16時までに入場とある。そのあとはライトアップになるらしい。

これも時間が無いので、やめる。

    *

最初から私が行きたかった、京都御苑の桜を見に行くことにする。

ここは時間の制限もないから、ゆっくり見られる。今出川で降りる。

前に御所に来たのは秋だったので、桜の御苑もちょっと見てみたい。

あさってから御所の一般公開が始まるので

テントなどの用意も始まっている。

乾御門から入る。

    *

9299この京都御苑一帯は江戸時代には二百もの宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ町でした。

いまはその広い空間が大きな木に代わって、

穏やかな空気を醸し出しています。

    *

9394一番見たかった近衛邸跡にも

様々な桜が植えられ、風雅な雰囲気を醸し出しています。

ブルーシートの花見する人もなんだか静かです。

ゆっくり見まわって、

丸太町までひと駅分、ゆっくりと歩きます。

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清水谷家の椋の大木(幹周/約4m、樹齢/約300年。)

立派でした。

    *

まだ元気があるので、

二条城前の「神泉苑」にも寄ってみることに。

二条城の何かかと思ったが違った。

「延暦13年(794年)の平安京遷都とほぼ同時期に、当時の大内裏の南に接する地に造営された禁苑であった。…、当初の敷地は二条通から三条通まで、南北約500メートル、東西約240メートルに及ぶ、池を中心とした大庭園であった。

史料に初めてその名が見られるのは『日本紀略』の記事であり、延暦19年7月19日(800年8月12日)、桓武天皇が行幸したという内容である。延暦21年(802年)には雅宴が催されたとあり、この頃から神泉苑は天皇や廷臣の宴遊の場となったとみられる。また、『日本後紀』には、嵯峨天皇が弘仁3年(812年)に神泉苑にて「花宴の節(せち)」を催したとあり、これが記録に残る花見の初出と考えられている。

中世以降は荒廃し、慶長8年(1603年)、徳川家康が二条城を造営した際には神泉苑の敷地の大部分が城内に取り込まれて著しく規模を縮小した。」ウィキペディアより

なるほど、時代と共にでありますな・・・。

しかし

ここにも外国の人が来ていて写真を撮っていたりする。私は忘れた。

すべてネットで世界中を巡るのだなぁ。

それから地下鉄で京都駅まで戻り、6時過ぎホテルへ。

今日もいい一日だった。(⑧へ続く

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