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2015年8月28日 (金)

旧済生館本館…②

21_333_2私がこの建物に興味を持ったのは、なにかの本からだった。

そこから山形の三島県令のことを知り、山形の建築物を見てみたいと思ったのだ。   

この建物は霞城公園の中にある。

国指定重要文化財である。

2223関連のHPを見てみると、次のようにある。

『旧済生館本館』は、明治の宮大工たちにより文明開化の象徴として建築され、昭和の時代の職人たちの努力と技術により移築復原された。 

済生館は、1878年(明治11)に山形県立病院として建設されたもので、当時の山形県令三島通庸の「山形の近代化を図る」という構想のもとに竣工した。 

24「済生館」の名前は当時の太政大臣・三条実美の命名による。 

東北地方で最も早く西洋医学を取り入れ、診療の他に医学校が併設され、オーストリア人医師ローレツを金沢医学校から招聘した。 

経営の問題から1888年(明治21)には民営となり、その後1904年(明治37)4月には山形市立病院済生館となった。 

1966年(昭和41)12月、東北地方の大規模な洋風化の歴史を示す資料として、国の重要文化財に指定された。その後、文化史的意義が評価され、現在は「山形市郷土館」として当時の姿を伝える歴史資料館となっている。 

(いろいろ勉強にもなった。) 

建物は、当時横浜にあったイギリス海軍病院を参考にしたと言われている。 

中庭を囲んで病室を円形に配置し、正面の塔屋は三層構造の独特の形態になっている。
当時の人々は、この建物を親しみをこめて「三層楼」と名づけた。

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1階の正面玄関は八角形のポーチ、2階は正十六角形の大広間、さらに螺旋階段で3階の八角形の小部屋に通じ、それぞれの階にベランダを配した構造になっている。

(あいにく空から眺めることはできなかった。ので、形は写真でしか…)

三層楼の背面には中庭を囲む十四角形の回廊があり、回廊に沿った八室の病室がある。木造の擬洋風建築として明治初期の代表的な建物であり、ドアの蝶番や屋根の亜鉛板などはドイツから輸入された。

2729 建設は原口祐之を棟梁とし、山形の宮大工と300人の職人たちの手によって僅か7ヶ月で完成した。
 

1878年(明治11)7月、山形を訪れたイギリス人のイザベラ・バードは、完成間近のこの建物を見て「大きな二階建の病院は、丸屋根があって、150人の患者を収容する予定で、やがて医学校になることになっているが、ほとんど完成している。非常に立派な設備で換気もよい」と評している。

(イザベラ・バードの本も読みたいと思っていたが…まだ。)   
2831建築というものの難しいことは分からない。

ただ見ていて気持ちがよく、素晴らしい。

回廊がぐるりと巡らされ、

その中庭は手入れされた小さな和風庭園

3032(その昔アルルのゴッホの病院の回廊を思い出す。)

 黒光りした、らせん階段で3階の塔へ続く。(行けない!)

シンプルなステンドグラス。

ひとりわーキャー言いながら

鑑賞した。

34

そろそろ次へ行きましょうか。

お隣にある、「県立博物館」です。(③へ)

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