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2015年1月27日 (火)

藤沢宿と遊行寺…②

白旗神社から藤沢橋の方へ歩いていくと

あちこちに「藤沢宿を歩こう」といった

看板や標識が見える。

626383東海道53次の浮世絵がある。説明がある。
この道が旧東海道に当たるらしい。

藤沢宿は東海道五十三次の6番目の宿場だ。

    *

64←藤沢橋

ということで、七福神から外れて、藤沢宿のお勉強。

藤沢で最も有名なお寺、遊行寺は、(箱根駅伝でもよく聞くお寺だ。)正式名称「藤澤山清浄光寺」という。

山号の藤澤が東海道の宿場の名前になり、
現在へと引き継がれているということだ。

68諏訪神社の向かい、遊行寺の境内を登っていくと、正面に大イチョウ、右手に立派な本堂がみえる。

時宗の総本山は、さすが堂々と大きい。 本堂の右手前には宗祖の一遍上人の両手を合わせて祈る銅像が立っていました。

清浄光寺が公式の寺名ですが、遊行上人の寺ということから、広く遊行寺と呼ばれます。 宗祖は一遍上人(1239~1289)で南無阿弥陀仏のお札をくばって各地を回り、修行された(遊行といいます)念仏の宗門です。
 
この遊行寺は正中2年(1325)遊行四代呑海上人によって藤沢の地に開かれ、時宗の総本山となっています。」
85目に入ってきたのは、大イチョウ。
葉を落としても、美しい樹形で立っています。
黄葉したときに来てみたいと思いました。
樹高約21m 幹回り710cm
巨樹好きの私はうっとり
8284寺務所の前には「中雀門」(銀杏の隣奥)
安政年間(1854~60)に建造された。 清浄光寺(遊行寺)は創建以来たびたび火災にあっていますが、 この中雀門は明治13年(1880)の大火の際にも焼失を免れた、現在境内で一番古い建物です。
 
大正12年(1923)の関東大震災でも焼失はのがれましたが倒壊したものを、そのまま復元して今にいたっています。  
側面の大棟に菊の御紋、屋根の下に徳川家の葵の紋が刻まれています。 春と秋の開山忌やお正月などには開門されます。
72日本三黒門の一つである総門
そこから見える坂は春には桜できれいでしょうね。
「藤沢地区は、鎌倉時代に遊行四代上人呑海によって「清浄光院」(遊行寺)が創建され、 以後大鋸周辺を中心に門前町として栄えました。
江戸時代になると、徳川家康は関東各地に将軍宿泊用のために御殿を設置しました。 現在の藤沢公民館辺りから妙善寺辺りまでの間に藤沢御殿があったといわれています。 その後参勤交代が始まると御殿は廃止され、 宿場として本陣・脇本陣・問屋が置かれました。」 
藤沢宿は 門前町に加えて宿場町として発展したのですね。
また、江の島・鎌倉・大山などへの参詣や観光客も多く、旅籠屋や商家も繁昌したといいます。

東海道五十三次整備以前から清浄光寺(遊行寺)の門前町として栄え、後北条時代は小田原城と支城の江戸城の桜田門、八王子城、玉縄城をつなぐ小田原街道の分岐点だったということです。

藤沢広小路、本陣、問屋などの標柱や案内、浮世絵風の看板があったが、実際のものは見えなかった。

では

本来の七福神めぐりへ戻りましょう。(③へ続く

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