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2014年7月26日 (土)

立山と家持

先日立山黒部から帰って、電話した知り合いの一人に、長く和歌をたしなんでいる人がいる。

その人が「夏に和歌の合宿がある」という話をしたので、思い出して大伴家持の話をした。

       *

95「立山に降りおける雪を常夏に見れどもあかず神からならし」

雪まだ融けきらぬ、立山室堂で見る家持の歌は、なおさら身に沁み、心に沁みたのだ。

遠い昔の人と思いを同じにしたのだ。

なぜここに、このひとのこんな歌が。

で、調べてみた。

    *

万葉集に残された歌は全部で4516首。
このうち大伴家持が作者であるとわかっているものは473首。
そのうちの220余首がこの越中で詠まれている。
さらに、家持の部下たちが詠んだ歌や、この地に伝わる歌などを加えると、337首にものぼるという。
越中万葉」は、万葉集全巻のなかでも、ひときわ光彩を放っている。

      *

2007_268家持が住んでいた伏木台地からは、富山湾越しの立山連峰を見ることができます。

立山連峰は富山平野の南東部にそびえているため、富山の日の出は、この立山連峰の向こうから昇ります。
奈良時代の役所は日の出とともに開門され、役人は仕事を始めました。家持も、立山連峰から昇る日の出を眺め たに違いありません。 

(以前富山に行ったときのブログはこちら、海越しに立山が見えました。その時の写真の1枚。一宮気多神社 (気多大社とは違う)、そのそばの国府跡にも行った。家持はあそこに通っていたのだ。ブログに家持の歌を書いている自分がいた。いつでも新しいもののように感動できる、忘れっぽい自分に今更ながら、びっくり!というほどでもないか、いつものことである。)

「立山連峰」はその崇高な姿から、古来、駿河の富士山、加賀の白山とならぶ日本三霊山として、信 仰の対象となってきたが、立山の旅の間中、何度も聞いてきたように、「立山」という山は存在しない。
そのため、家持の歌に出てくる「太刀山(たちやま)」がどの山を指すのかについて、古来 さまざまな論が存在しているという。(まあ、いいじゃない、とは私。)

大伴家持は「立山の賦」という作品の中で,次のように歌いあげました.

立山賦一首並びに短歌二首
 

「天離る 鄙に名懸かす 越の中 くぬち(國内)ことごと 山はしも 繁にあれども 川はしも さはに行けども す(統)め神の うしはきいます 新川の その立山に 常夏に 雪降り敷きて お(帯)ばせる 片貝川の 清き瀬に 朝夕ごとに 立つ霧の 思ひ過ぎめや あり通ひ いや年のはに よそのみも 振りさけ見つつ 万代(よろづよ)の 語らひぐさと いまだ見ぬ 人にも告げむ 音のみも 名のみも聞きて とも(羨)しぶるがね」
     (4000番・天平20年(748年)4月27日(儀鳳暦)大伴家持31才の歌)
訳(空遠い鄙の地にその名をきこえた越の国。越中の国内いたるところ山はぎっしりとあるけれども、川は多く流れているけれども、領神の支配なさっている新川郡のその立山には、四季を通じてつねに雪が降り積もり、片貝川を帯のようにまとっていられる。その川の清らかな瀬に朝晩立つ霧のように果敢なく、この山への思いが消え去ることなどあろうか。つねに通い続け、毎年、遠くからでも仰ぎ見つつ、万代までの語りぐさとして、まだ見ない人にも語り告げよう。人々が話だけで、名前だけ聞いても憧れうらやましがるように。偉大な山、立山よ)
         ☆     ☆
 
立山(たちやま)に 降り置ける雪を 常夏に 見れども飽かず 神(かむ)からならし
         (4001番・天平20年(748年)大伴家持31才の歌)

 

訳 立山に降り敷いた雪は、四季を通してつねに眺めても見飽きない素晴らしさ。神の山の品格のゆえであろうか。
「から」は「柄」とも書かれ、その物にある性質、性格、本性という意である、という。
         ☆     ☆
片貝の 川の瀬清く 行く水の 絶ゆることなく あり通ひ見む」
       (4002番・天平20年(748年)大伴家持31才の歌)
訳 片貝川の浅瀬を清らかに流れて行く水のように、絶えることなく通い続け、(この立山を)見よう。
         ☆     ☆

「日本では、平安時代のはじめ、空海(弘法大師)や最澄(伝教大師)が中国から密教なるものを招来して以降、自然観が大きく変わったという。

山や川、草や木々に神が宿るといったそれまでの自然と神の一体的で素朴な自然観が、仏の世界に至る修業の場としての自然にとって変わられたのです。」

立山もその例にもれない。

「その意味で平安時代以前の人々の素朴な自然観を現代まで、そのままに伝えているものは『万葉集』をおいて他にはないということだ。

『万葉集』に収採された歌は、まさしく飾り気のない素朴な感覚がそのままに自然に対峙し自然を表現しているのです。

 こうした『万葉集』の自然観の中でも代表的なものとして「山」に対する観念があります。
 『万葉集』には、いずれも神山と崇められた、三輪山・天香具山・畝火山・二上山・吉野山・富士山・立山等々数多くの霊山が歌われています。

殊に大伴家持は夏も雪と岩に鎧われている高山立山を「みれども飽かず神からならし」と詠嘆しており、雪と岩のアルプスを悪魔悪龍の住処として忌み嫌い恐れた古代のヨ-ロッパ人とは対称的だといえるということだ。」(立山博物館HPより)

家持の『万葉集』で確認できる27年間の歌歴のうち、越中時代5年間の歌数が223首であるのに対し、それ以前の14年間は158首以後の8年間は92首。

しかもその前は女性に贈った歌が多かったようで、家持が都から離れ、大きな自然の中でその感性を磨かれたということができる。こうして、歌風もより万葉集らしく(?)大きく変化したという。やはり自然はすごい。 

立山の 雪し来らしも 延槻はひつきの 河の渡り瀬 鐙あぶみかすも
大伴家持 巻17-4024
  (
立山の雪が解けて流れて来たらしい。延槻河(早月川)の渡り瀬で、増えた水かさで鐙までも水を濡らした。)

越中国守であった大伴家持は天平19年(747)4月27日「立山の賦」と題して長歌短歌を詠み、これを「万葉集」に収めたが、これこそ立山が文献に記された最初のもの、立山を歌っ
た最古の文学であった。
(当時はタテヤマと発音せず、タチヤマと呼んだ)。その作製年どころか月日までこんなにも明確に記録されているということは、富士にも白山にもその他どの名山にも全くないことである。筆まめな大伴家持なればこそである。
富山、越中では家持・万葉集はかなり影響ものこっているようだ。
また地元の皆さんの誇りも感じることができた。

(

)

 

かむ

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コメント

短歌を少し学んでいるのでこのブログは大変勉強になりました。
遠い昔であろうと遠い国であろうと人の想いにさほどの違いはないのですね。
家持に親近感が湧いてきました。
高校の頃から古文は嫌いで今も万葉集など敬遠していましたがいちさんの文を拝見して万葉の和歌を勉強してみようかなとちと思いました。
本も買ってはいるのですが。。

投稿: VIN | 2014年7月27日 (日) 12時30分

こんにちは コメントありがとうございます。
VINさんが和歌を学ばれていることも知っておりましたので、読んでくださったらいいなぁという気持ちもありました。

私は昔から万葉集が好きで、(技巧の無い素朴さ?)
今もそれには変わりがないようです。
それに加えて他のものも受容できるようになった感じです。

いろいろ調べてみると、ついこの前のことかのようで、本当に面白く、興味がわきました。

底辺に流れるのは、同じ、今と変わらぬ人のこころなのですね。どんなに科学が進歩しても、心のなかには違いが無いようで、それでいいのかとも思ったり・・・

投稿: いち | 2014年7月28日 (月) 14時26分

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