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2014年5月 9日 (金)

5月5日 旧四賀村地区へそして帰ります。④

今日は子供の日

帰りは道路は混むと思うので、夕方の特急で帰る予定。それまで近場を。

我々の得意なマニアックな神社仏閣を。

    *

昔の四賀村方面へ行く。

松茸山荘に以前来たことがある。2度ほど。

山にはまだ桜の気配もあって、春の盛りにはきれいだったろうなぁ、と考える。

   *

四賀会田宿付近

後から調べて分かったことだが、

「四賀は、善光寺街道(北国西脇往還)・延喜官道・江戸道などの街道を中心に栄えた地域です。
地区内に3つの宿場を擁し、会田宿は、鎌倉時代にこの地方を領した海野会田氏の城下町から発達した町です。

天領であった四賀は、明治の廃仏毀釈の憂き目に遭うことがなく古い寺院や観音像も壊される事なく残っています。
中でも石仏は保存状態がよく、文字や顔がはっきりと識別できます。」

ということで、もう少し調べて、また行ってみたいと思いました。

大したことないかと思いつつ、回ったのですが、かなり立派で、まだまだありそうなのです。

56 まず「保副寺

57 仁王門が1759年の建築で最も古い。

5859 急な石段は危ないので、横の道からゆく。

あちこちに石仏石像がある。

60 61 「1834年(天保5年)2月完成(1886年(明治19年)出版)の『信濃奇勝録』には、次の記述がある。「埴原村金峯山保福寺庭に古松あり寛政二年冷泉為泰卿銘して重玉といふ」

(その松は今は無く、おそらく折れた模様、幹保護の屋根がかかっている。御神木だったのだろう。)

666567_2 滞在型市民農園 信州松本・四賀クラインガルテンにも寄ってみた。

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「淨雲寺」
 

697072 71廣田寺」(コウデンジ)

「中世に四賀を支配していた会田氏の寺です。
永正8年に廣澤寺四世和尚によって中興開山されました。本尊は阿弥陀如来坐像。山門前には、江戸末期から明治初期に近郷から奉納された百体観音が並んでいます。 」

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もう一つお寺に行きたかったのだが、それは次回ということで、

きのこが美味しいというお蕎麦屋「たきざわ」へ。店主の滝沢さんはきのこ衛生指導員をしているという。

春シメジ、白シメジとか聞こえました。昨日取ってきたとも。天然のキノコです。

お蕎麦よりキノコの方が多かったような。

つゆがキノコの出汁が出て、おいしかったです。

     *

そして、満員の特急電車も無事に走り、無事に家に着くと、ポストに怪しげなメール便が。

もしやと思い開けてみれば、爆発することもなく、美容液が入っていました。

娘からでした。

早速
「今帰りました。怪しげなブツが届きましたが、どうもありがとう。心を入れ替え、再びお肌のお手入れに邁進致す所存であります。」とメール。
私はこういうことに手を抜くのが好きだ。というか、お手入れとかが、苦手だ。

母の日はお忙しかろうから、早めに送りました。いつもありがとう。いつまでもきれいな母でいてください。」と来た。

がってんだぁ~  いつまでも美しい母より」と送った私。(去年のやり取りははこちら

今、携帯を触って文面を確認していたら、またもや、同じ文面を送ってしまった。

知っている人は知っている、私の特技?であります。

あまり使わない「美しい」「きれい」を強調しておかないと、忘れられてしまうからだろうか。あまり縁のない言葉ではある。はい

 

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