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2014年2月10日 (月)

『ふくわらい』 西 加奈子

少し前に読み終えたのですが、しっかり考えをまとめて、
などと思っていましたが、それがなかなか難しく。

またまた長い文になりました。興味のある方は読んで、いえ、お読み,ください、ませ。

     *

キノベス2013年1位と言うことで、最初は戸惑いつつ読み始めました。

     *     *

内容紹介

マルキ・ド・サドをもじって名づけられた、書籍編集者の鳴木戸定。
彼女は幼い頃、紀行作家の父に連れられていった旅先で、誰もが目を覆うような特異な体験をした。
その時から、定は、世間と自分を隔てる壁を強く意識するようになる。
日常を機械的に送る定だったが、ある日、心の奥底にしまいこんでいた、自分でも忘れていたはずの思いに気づいてしまう。
その瞬間、彼女の心の壁は崩れ去り、熱い思いが止めどなく溢れ出すのだった――。

       *       *
その旅の見聞をつづった父の紀行文は、日本で物議をかもし発禁処分となり、そのため定も有名人となる。
以来、定は世間と自分をへだてる壁を強く意識するようになる。
人と馴れ合うことを知らず、友人も作らず生きてきた。純粋無垢。
そんな定にも人とのつながりができる。

純粋でナイーブな作家兼プロレスラー“守口廃尊”。
美人すぎるゆえの偏見に苦しんでいる後輩の“小暮しずく”。
目が見えないにもかかわらず、定に一目ぼれし、猛烈にアタックをつづける“武智次郎”。

そんな彼らと接するうちに定の世界観は少しずつ変わり始める。

愛すること、誰かとつながっていることの素晴らしさに気づいた時、次の1歩をどう踏み出すのか?定が出した結論は、一般的には「びっくり」だった。
友達を得て、恋を知った定が物語の最後に信じられない行動をとる。

衝撃(?)のラスト。というか、そこまで?理解しがたいような。

   *    *

以下は西さんがキノベスに寄せたコメントです。本を読んでから、この文を読むとすっきりと入ってきます。さすが作者であります。

     *

「プロレスラーを書きたいな、と思っていました。スター選手ではない、自分の才能や体力の限界を知っているレスラーです。彼らは、「八百長だ」、「スポーツじゃない」などという、ある種の胡散臭さを引き受け、野次られながら、リングに立ちます。そして自分の人生だけでなく、観客の人生をも背負って、傷だらけで、本当に傷だらけで戦います。そんなレスラーの、深い哀愁と人間臭さを体言した人間が、守口廃尊です。そして、哀愁や人間臭さを、まったく知らずに育った人間、だからこそ知らぬ強さで、全てをまっすぐ受け入れる人間が、鳴木戸定です。彼女は廃尊のように、体を使って戦いはしませんが、まっすぐな分、やはり傷だらけで、生きています。

 私はふたりのことを、心から慕い、焦がれながら書きました。ふたりがあまりにも眩しすぎて、時折、著者である自分から、遠く離れた場所へ行ってしまうこともありました。ですが、定が思う「顔って何だろう?」、廃尊が思う「言葉って何だろう?」、そして二人が思う、「自分はどうして、あの人でも、猪木でもなく、自分だったのだろう?」という疑問は、まぎれもなく、私が思っていることでした。

 私は、自身の疑問をふたりに委ね、だから物語に寄り添い、時々泣きながら、「ふくわらい」を書きました。完成したときも泣きましたが(照)、それは「小説を書き終えた」という感慨より、「自分が自分で産まれてきたこと」に、その、まるっきり奇跡みたいな事実に、圧倒されたのだと思います。

 「ふくわらい」が、こんな素晴らしい賞の1位になれたことも、大きな大きな奇跡です! もちろん、1位になったことは、本当に嬉しいことですが、私は何より、皆さんが、皆さんの体と心で、この本を読んでくださったことを、ずっと考えています。ずっとずっと考えています。「あなた」として生きていてくださって、本当に、ありがとうございます。」

    *

ここに作品のすべてが述べられていると思いました。

自分の経験を反転している、こういう人になりたかったというのを書いている気がします。」
「定は何で幸せになるのかな?」と思ったらこのようなラストになった」そうです。

    *    *

印象的な言葉。

「目が見えませんが一目ぼれです。」と言い放った次郎。
「定さんの何を知っているんだ」と問われると
知るってなんだろう。見る、という情報が立たれている僕は自分で自分の「知る」を決めるしかない。」

「しずくの『すべて』が、どんどん拡大してゆく。点でしかなかったしずくが、線になり、面になるのだ。」(知るということの本当の意味)

「私は、言葉をつらねて文章ができる瞬間に立ち会いたい。それと同じように、目や鼻や口や眉毛が、どこにどうやって配置されて顔が出来るのか、その瞬間に立ち会いたいんです。」(物事が成り立っていく場面に向き合いたい。)

「顔とは何か。その人たらしめているものは、何なのでしょうか。」(物事の本質を見極めたい)

「顔は体とつながっている。すべて自分のもの。」

そして定は守口にプロレスを見ることを許されて(真に中身を知る)
「私の中の守口さんの『すべて』が、広がる。」

西さんは、
人を判断するのは見た目が多い、絶対見た目にとらわれないようにしようと頑張ってもビジュアルに影響されている。それが嫌だなと思う。目が見えない方には無いんだと思うと、その人たちが相手を知る、誰かを好きになるというのはどういう事なんだろうと思い書いたのかな?」

福笑いとはゼロから顔のパーツを作っていくもの。
主人公の定は、恋愛・人付き合いなど多くの人が当たり前にやっていることも、「それって何?」とゼロから考えていく。

定が自分自身・私個人の成立という、福笑いを完成させていく話といえるだろうか。

あのラストシーンの想定外の想像外の風景では、定は定なりの自分の福笑いを完成させて、ものすごい境地にたどり着いたということだろうか。

と思いつつも、なんじゃこれとも思う。

一緒にいる人が盲目であることも・・・

    *

作中人物それぞれが「ある種の純粋さ」を前面に出している。しかし、なにより定の純粋さは、他の人よりも遙かに上回っていて、笑ってしまうほどに強烈なものだ。

そんな定の人間的回復(そういってしまっていいものか)、ここに作者の意図が集約されていると考えられる。

特に印象的なところ。
精神世界に深く踏み込んだ記述場面がある。
守口廃尊とのむき出しの会話が、汗と、涙と、吐しゃ物にまみれ、
廃尊がそんな定を受け止める。
定が、自分を解き放った瞬間が、そのクライマックスなのだろう。
気持ち悪いけど、不思議な感動を感じた。
そこから、ラストの定のいわゆる光り輝くような姿、(それをそうとらえることが最初はできなかったけれど。)
ちょっとそれはやり過ぎ?理解しがたいという気もしました。
定の「人としての再生(?)」「人として世の中とつながること」つまり「人間になる」という物語だと言えるでしょう。
定は確かに人として何か不足していたことは否めないと思うので。
用いられている言葉に「えっ?」と思うことはあるけれど、全体としては強烈な生命力を感じさせる、不思議な、異色の作品でした。
2013直木賞の候補作品で、その講評に、
    *     *
浅田次郎「自由奔放に書いているのか、それとも正確な図面に基づいているのかわからず、一貫したストーリーがないかわりに、背骨が通っている。ならば、ゲシュタルト文学という解釈はどうであろう。そう考えると、とりわけ不可解な大団円の説明がつくし、表題もまた然りである。」
宮部みゆき「「直木賞なのかな。芥川賞じゃないのかな?」という疑念を、どうしても払拭できませんでした。」
   *      *
最終的に私が感じえたことは、今までの人生をそれぞれすべて受け止めて、その先にある今の自分を見つめ、それを大切にしていくものだということ。
結果的にこの本では、定といわゆる周りの世界の間の、お互いを隔てるものがなくなっていくという過程を描いている。
    *
確かに
深く考えると、その思いは深くなる。
しかし、そうではなく、たいらにさらっと読み過ごしても、
とにかく変わっている、漫画チックにも見える定のありのままの純粋さが面白く、不思議。
ふくわらいののっぺらぼうの顔が、そのゆがんだ顔が心で動く。
2012/8/7   11

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