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2013年7月18日 (木)

『金色の野辺に唄う』 あさのあつこ *

 偶然手にした「バッテリー」のあさのあつこさんの本。

90を越えた松江が死を迎えるところから話は始まる。

周囲を取り巻く人々の、静かだが深い、誰にも言えない思いを受け取りながら
その死に添って物語は最後の章「金色の野辺に唄う」に進んでいく。

最終章は葬式の日だ。

見事なまでに晴れた青い空の下、金色に輝く稲穂の中を、葬送の列が行く、野辺送り…人々の頭上を舞う赤蜻蛉…遠くで聞こえる百舌の声

それは遠い昔、松江がひそかに見送った大切な人の葬送のことだった。

各章で語られる話も、静かながら、それぞれに胸に訴えてくる。
まさに金色の稲穂の中、風が吹き渡り、赤く燃えるのはトンボか柿の実か。

人生折り返しをだいぶ過ぎて、「死」を意識する大人のためのメルヘン
私もそんな中に身を置いてみたいような気持ちよさを感じる。

・美代子さんはを持って生まれてきた人やね。
居るだけで、他人を幸せにできる人なんかもな。身の内に珠を持ってる人って、そうなんとちがうかねぇ。

・生きてみよう。生きていなければ、いつかには巡り合えない。生きていたい。

・足掻いたらええやないの。足掻いて、足掻いて、足掻き続けて生きたらええやないの。それで、力尽きて息が切れたら、こちらへおいで。うちが待っといてあげるから。昔、転んだあんたが起き上がるのを待って、手を差し伸べたあの日のように、うちは、あんたを待っといてあげる。

最後を勢いよく読み終えて、何とも言えない思わぬ高揚感。

季節感あふれる繊細な語り口は静かに美しく。
会話部分より、情景描写が多く、そこに込められた心情は深い。

魂とのやり取りのような、あるいは「死」というものを近くに置いている中で、自分自身の内なるものとの会話なのか。

生きていくとは、自分の焔を燃やすこと、燃やし尽くすことなのだろう。

その静かで、神々しい(?)雰囲気のなかにいることが十分に感じられる味わいのある文章。
冒頭と最後の松恵の心の目で見る描写が美しい。

重なる言葉が印象的。
重なるイメージ
「光、金色に輝く稲穂、百舌、赤みを帯びた優しい秋の日差し、焔として燃え立つ柿、赤とんぼ、」「101本の竜胆の紫」「稲穂の揺れる音、風に舞い、地に降りて草木の力になる野辺送りの唄。」

内容(「BOOK」データベースより)

山陰の静かな山あいの町で、九十を超えた老女・松恵が息をひきとろうとしていた。看取るのは、松恵の曾孫で絵心を持つ中学生・東真、松恵の孫に嫁いだ元OL・美代子、近所の花屋店員・史明、松恵の娘で稀な美貌を授かり持った奈緒子。四人ともかつて松恵に受け止められ、救われた過去があった―。屈託や業を抱えながらも、誰かと繋がり共に生き抜いていくことの喜びを、晩秋の美しい風景の中に力強く描き出した連作短編集。

2008/5/31 46

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コメント

あさのあつこさんは岡山の方です。
今までなぜか喰わず嫌いでしたがこの日記を拝見して読んでみたくなりました。
図書館で探して見ますね。

投稿: VIN | 2013年7月18日 (木) 11時52分

おはようございます。
期待していなかった分(?)
余計だったかもしれません。

図書館にあるといいですね。

投稿: いち | 2013年7月19日 (金) 08時26分

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