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2013年5月16日 (木)

早朝、島の北端・辺戸岬へ…⑥

P51219672476時半には高速に乗って、一路北の端辺戸岬へ9時前到着。

途中の道の駅の海で見たタコノキの実。

257261253259サンゴ質の絶壁から成り、岬上は広い台地となっている。

  • 沖縄県がアメリカの統治下にあった頃、本土復帰を願って、ここからのろしを上げたという。
  • 辺戸岬と与論島との間(北緯27度の海上)で、本土との交流集会も行われていた。
  • 1972年(昭和47年)の沖縄返還にさいして建立された「日本祖国復帰闘争碑」がある。
  • P5121975  辺戸岬は沖縄が日本に復帰する前は、日本に一番近い場所で、 日本の与論島まで約22Km。 見えるほど近いが、1972年に復帰するまではその間、北緯27度が国境だったのです。
    祖国復帰を願い人々は辺戸岬の広場で集会を開き、夜には篝火を焚いて、同じように沖縄の日本復帰を願う篝火を焚く与論島の人々と呼応し合ったという話です。

    そして1972年、沖縄は日本に復帰。それを記念して立てられたのが、祖国復帰闘争碑です。
     

    この記念碑に書かれている文は、強く印象に残った。

    「全国のそして全世界の友人へ贈る。」いう表題で、
    「…しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのではなく、まして勝利を記念するためにあるのでもない。
    闘いを振り返り、大衆を信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理のもとに生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある。」

    力強い、押さえてもなお、ほとばしり出る気持ちが強く感じられる文章であった。

    ちょうど先日4月28日に主権回復式典が行われ、それを沖縄の人が反対したというニュースを見聞きした。
    そしてその28日(1952年に発効)は沖縄にとっては日本から見捨てられた日であり、形ばかりでも沖縄に施政権が戻った5月15日(昨日だったにするべきだ、という意見があるということも読んだ。

    知っているつもりのこともいかに浅い知識だったのか、と反省し思った。

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    沖縄の北端は南端でないから・・・南に来た感じはしない、などと一瞬でも思った自分が恥ずかしかった。

    266しかし、沖縄の海は空に雲があろうとなかろうと、青く、美しかった。

    271


    高い崖の上からサンゴ礁を眺めてみると、南の海らしくきれいな色の魚たちがたくさん泳いでいるのが見えた。

    それを3人で結構長い間海を見つめていたのだった。

    次は、ヤンバルクイナを探しに行こう!(⑦へ続く)

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