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2012年9月30日 (日)

『海路』 藤岡陽子と70歳の・・・

9月も今日で終わりですね。

明日から10月と聞くとこれまた焦ります。

先日

久しぶりに本屋に行った。

うろうろしていたら、吉沢久子さんの本とかの隣に

「親が70を過ぎたら…」のような本があった。

中身は、容易に想像できたので、手には取らなかった。

でも、そこで、「えっ!?」と思ったのは確かである。

そうか、70でか。

私はまだ70ではないけれど、

でも、年が勝手に増えていく感じの、今の状況を考えると

あっという間にその年に、気が付いたら,

なっていたということになっていそうな気がした。

四捨五入したら・・・うーん

そんなことを感じていた昨日、読んだ本である。

友だちのブログで知った。

字が大きくてあっという間に読めた。今年の50冊目である。

文章は冷静で、さらっとして、研ぎ澄まされた空気の中に心が漂う。

小さなプロットもいろいろ重なって、話は進んでいく。

43歳の私と、70過ぎの先生。それにいつまでもどうしようもない男。

年を取ることについても多く書かれている気がした。

というか、そういうところに自分の気が行ったのかもしれない。

しかし、そういうことを気にしつつ、読み終えて、心に残ったのは

こんな文だった。

「人が自然を求めるのは、形になる前の自分、無意識の自分を引き出してくれるからかもしれない・・」

「人は人に対して繕うのであって、自然の中で繕う必要がない」

つまり、

ひとりで生きる身の上を嘆こうと、どんな死に方をしようと

(ある程度は努力はしたうえでの話だが)

結局

人も自然に対する生き方をする以外にはないのだと。

「テーマ競作」『死に様』というもので書かれた小説らしいが、

あとから思えば「そうか」と思う。

(だって、現に私がこうしてこの本で、そのことについて考えたのだから。)

しかし、そんなことを知って読まないほうがいい。

(って、これを読んだ人はわかっちゃったですね。それほどたいそうなことでもありませんが。)

船の軌跡は、通った後の後ろに白々と堂々と一筋、つく。船の前には、まだ決まらない無限の広さがある。

ラストのフェリーの場面で思った。

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