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2011年8月14日 (日)

夏休み①…森将軍塚古墳

水曜日(10日)夜から長野へ行ってきました。

翌木曜日息子2と出かけたのは千曲、更埴あたり。

杏の里はいつも行きたいなと思っていたが
混むだろうと敬遠していたところ。

今回何も無い時期だけれど行ってみて、その様子がよくわかった。

それから「森将軍塚古墳」というところへ行った。
20118_027 古墳館から見上げると山の上に見えるあれがそうらしい。(山の中央のへこんでいるところ)
暑いので行きはバスに乗り、何も知らずに登ってみて驚いた。

20118_028 20118_043 大きな遺跡が目の前に広がる。
複元とはいえ、正確に作り上げたという。
遠く戸隠まで見渡し、善光寺平を見下ろすその姿は1600年の歳月を超え、同じ場所に立つ私たちに不思議な風を呼び起こす。

20118_044 なんともいい雰囲気だった。
いいところに連れて行ってもらった。

教科書にも載っているというが、我々のころにはなかったなぁ。

20118_048長野県千曲市(旧更埴市)大字森字大穴山に所在する本古墳は、長野県で最大となる全長100mの前方後円墳。長野県における前方後円墳としては最初期にあたる古墳時代前期(4世紀末)に造られ、信濃国の前身・科野(しなの)の首長の墳墓と目される。
平野部から130~140mの高さの狭い急斜面の尾根、標高490mの山頂にあるため、後円部は楕円のようになり前方部と中心がずれて傾いている。

後円部頂の中央に長さ15.0m、幅9.3メートル、深さ2.8mの穴が掘られ、その内部に「墓壙」と呼ばれる二重の石垣で囲まれた長さ7.6メートル、幅2m、高さ2.3mの竪穴式石室(石槨)が築かれている。この石室は日本最大級の大きさを誇っている。副葬品のほとんどは過去の乱掘により散逸していたが、残されていた三角縁神獣鏡片は、ヤマト王権との繋がりを示す重要な資料とされ、他にも近畿地方の影響と思われる土器類、刀・剣や切先の尖った槍か剣のようなもの、鉄鏃、細工のための小刀、農業に使う鎌、翡翠で造った高級な勾玉、碧玉の管玉などが検出されている。

科野 (しなの)のクニを治めた大王の墳墓で、森地区にあったので森将軍とあとから呼んだとある。文字も無かった時代だからだ。

周辺からは、13基の円墳5 - 7世紀後半)を始め埴輪棺や組合式石棺などが多数検出されており(他にもあったと考えられるが、後世の採石などで消失)、この周辺は森将軍塚古墳に関係する一族などの代々の墓所と考えられている。

昭和46年(1971)に国の史跡に指定され、昭和56年(1981)から平成4年(1992)までの11年をかけて築造当時の姿に復元された。一般に公開され小学校の教科書にも写真入りで紹介されている

山の下の古墳館、県立歴史館などの施設と共に歴史公園となっている。

発掘時期 1965年~1968年
復元工事 1984年~1991年

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コメント

へ~え、すごいね!
一度行ってみたくなりますね。
知らないことって、まだまだあるよね。
だから、世の中面白いのかな?
元気なうちが勝負かな?
気張らなくっちゃね。

投稿: ちゃちゃ | 2011年8月14日 (日) 22時05分

昭和40年代に市民が保存運動をはじめたとあったからわれわれの意識に無いところだったのね。
もちろん新聞に載ってってもしらないこといっぱいあるから、ね。
まあしらないことが無くなったら
つまらないものね。

投稿: いち | 2011年8月17日 (水) 15時28分

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