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2011年5月18日 (水)

『両子寺(ふたごじ)』国東半島・・②

国東半島はそのほぼ中央にある標高721メートルの両子山からきれいに放射線状に海へと広がる28の谷が刻まれているという。
この谷にできた村を6つに分けて、発展してきた仏教文化が六郷満山ということです。

航空写真を見ると国東半島の丸さが良くわかります。

周防灘に丸く突き出した半島の国東半島は、奈良時代から平安時代にかけて六郷満山と呼ばれる仏教文化が栄えた所。

20115_093 今もその遺跡が半島の至る所に散在し人々は「み仏の里」と呼んでいる。
6~7世紀に伝来した仏教とそれまで信じてきた神とをともに取り入れ神仏習合文化としたのです。

独特のこの、異教も受け入れともに生きる思想は心広きひとの、しかも誇るべき理想だったのではないでしょうか。
地元では世界遺産にという運動もおきているようですが。

 崖に刻まれた熊野磨崖仏に代表される石造物も多く、国東塔と呼ばれる独特の石塔も見ることが出来る。
たしかにどこにでも石像物がありました。

「奈良・平安時代に奈良や京都の文化に宇佐八幡文化や天台仏教、修験道などが混ざり合って形成された神仏習合のこの地方(国東)独自の文化」なのですね。

それはなんとなく素朴で心安らぐ雰囲気をもたらす国東半島の雰囲気である。
日曜日なのに観光客はさほどいなくて、緑は美しく、いい雰囲気だった。

両子寺と書いて「ふたごじ」と読み、奥の院に両子大権現がほかの像とともに祀られているというのを聞いて、これは行かねば、と思った次第。
両子大権現とは「男女二天童子(男と女の子の双子)」である。我が家と同じだからです。

両子寺はその六郷満山の総寺院の地位にあります。

718年仁聞菩薩の開祖といわれる。
仁聞菩薩はこの地区に60ほどの寺を作り、今も30ほどが残っているとお坊様に聞いた気がするがネットを見ると定かではないし、そう聞いたのかも今や自信がない。

20115_094 両子寺は緑深い山の中腹にあり、若葉紅葉は美しいといいます。
深山幽谷って言うことでしょうか。

うろっとしていたら護摩堂から御住職に呼びかけられ
お堂にあがってお話を伺いました。
この護摩堂は明治2年消失後20余年の歳月を費やし、25年に元通りに再建されました。

20115_095  赤い鳥居をくぐって階段を上る奥の院は不思議な場所にあり、岩を背に半分岩の中にたっています。
20115_09620115_098 20115_097  その裏の洞穴をめぐると石仏。

それから古い石畳の参道を降りて(順路が逆ですが)いきました。
20115_099_2  20115_101_2 20115_104 緑の中をゆったりと歩いて山門を過ぎ、その下にある石造りの仁王像を見に行きます。
国東半島最大の石像仁王像。
総高245、像高230センチ、1814年作。

それは素敵な空間でした。
このあたりの寺にはみんな石の仁王像があるということです。

時間を気にせずじっくり見たので、さて次だ!と思ったら
もう4時になろうとしていました。あらまあ。

20115_106 山を降りながら、行きたかった富貴寺は4時半までだから
もう間に合わないので、5時半までの「熊野磨崖仏」へ。
ここにはぜひ行きたいっ!
(③熊野磨崖仏へ続く)

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