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2011年4月26日 (火)

雲洞庵と関興寺 ②

20114_204 20114_210  20114_211往古より越後の国では、
雲洞庵の土踏んだか
「関興庵の味噌なめたか」
という言葉が親しまれてまいりました。
それは、諸国の修行者が、この二大禅道場で曹洞宗と臨済宗の禅を学ばなければ、一人前の禅僧とは言えぬ、ということから、互いに確認し合った合言葉が起源と云われております。また、赤門より本堂に至る石畳の下に法華経を一石一字ずつしるし、その経石を敷きつめたことことから、年に一度赤門が開かれた折、参拝の善男善女が、その有難さに随喜して言い伝えたものだとも云われおります。 (hpより)

というお話を伺いましてわれわれは素直にそこへ向かったのでございます。

そして、しっかり石畳を踏んでまいりまして。
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20114_21320114_217_2 境内は広く雪解け水がとうとうと流れていました。
なかなかのお寺でございました。

お堂の中から見るお庭に
大桂の老木がありました。

春を待ち
少しずつ芽吹き、
人々の心を癒すような素敵な木でした。

ドラマ「天地人」の主人公が殿と一緒に学んだ寺です。

兜の「愛」の出所ということです。

20114_23320114_235_2   次に「関興寺」です。
門の奥もすごい雪が積もっておりました。

古来、禅院の生活は枯淡であり食事も質素で味噌は禅院の生活に欠かせないとあって、寺では修行僧のため沢山の味噌を作り貯えていた。

 天正6年(1578年)上杉謙信の没後、景勝・景虎二子による家督相続争いの合戦(御館[オタテ]の乱)がおこり、その兵火のため諸堂が焼失した。
 
その折、時の住職・雨天是鑑和尚は上杉氏より寄進された大般若経六百巻を味噌桶の中に埋めるように修行僧に命じて、火災から大切な経本を守った。

 以来、この味噌をいただくものは大般若経のご利益にあずかり福徳が授かることができると言いはやされるようになり、「関興寺の味噌なめたか」との言葉がうまれたと伝えられています。

 現在でも関興寺にお参り頂ければ、どなたでも「関興寺味噌」を味わうことができます。また、加護料を五百円を添えて頂ければお分けいたします。」(hpより)

ということで無事お味噌もなめて
お分けいただいて帰って、ではホテルへ。

ここからがまた一大事、
まあ終わってみれば
湯沢にはニューオオタニが二つあったということです。

予約はちゃんと(!)してあったので、よかったかな。おほほ(続く)


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コメント

天地人の清太郎くんが殿と学んだお寺・・。
テレビ番組の仁のように、歴史の中に
タイムスリップしたような気がします。

投稿: 小夏 | 2011年4月28日 (木) 14時10分

こんにちは
古いものの中に入っていくと
本当に不思議な気持ちになります。
われわれにはなかなか得られない長い時間のイメージですね。

投稿: いち | 2011年4月30日 (土) 08時44分

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