« 映画3本+1本 | トップページ | 福岡からの »

2011年1月14日 (金)

『号泣する準備はできていた』 江國香織

題名を含む12編の短編集である。

が、さまざま異なったものを1冊にまとめ組み合わせているのではない。

作者いわく、ひと袋のドロップ

号泣する準備はできていた
おなじテイストのおなじ匂いのする短編を一冊につめたというところだ。

色や味は違っていても、成分はおなじで、大きさもまるさもだいたい同じという風であると書いてある。

人のすることで、ある部分にスポットを当ててみると
それは多少の濃さや色の違いはあるけれど、同じように見えるのだ。

題名から想像して、いろいろ予想していたので
ふっと抜けたような、しかしよく考えると
深い意味を見ることができる。

「いろんな人たちが、いろんな場所で、いろんな記憶を持ち、いろんな顔で、いろんな仕種で、でもたぶんあいも変わらないことを営々としている。

人々が物事に対処するその仕方は、つねにこの世で初めてであり、一度きり。なので、びっくりするほどシリアスで劇的。

悲しみを通過するとき、それがどんなふいうちの悲しみであろうと、その人には、たぶん、号泣する準備ができていた。」

そしてそれはあとがきに書くことですべての意味を成しているのだと思う。
持っているものがどれだけあるか、どれだけ大切か、
それを知ることで号泣するもしないもできるのだ。

そして、本の内容を離れて、それぞれの読み手が自分自身の持っているものを思いやることになるのだろう。

持っていたものとのかかわり方でそれぞれの号泣の程度にもなるのだろう。

「喪失するためには所有が必要で、少なくとも確かにここにあったと疑いもなく思える心持が必要です。

そして、それは確かにそこにあったのだとおもう。

かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短編集になっているといいです。」

「自分の墓碑銘を想像してみる

でもほんとうは、そのときにはすでに、号泣する準備はできていた。」

直接の内容、不倫や別れなどという内容とは離れたところで、私には感じるものがあった。それは、あとがきを含めての完成されたひとつの味を持つ、一冊の本であったということである。

|

« 映画3本+1本 | トップページ | 福岡からの »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 映画3本+1本 | トップページ | 福岡からの »