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2010年6月 4日 (金)

布田天神

今朝いつものように何気なく付いていたテレビ
「ゲゲゲの・・・」である。その最後に小さな一枚の写真。
「布田天神」と目をよぎる。

その写真が頭をかすめ、いつもならすぐに遠くに過ぎ去り
過去のものになるところだが、
なんだか妙に引っかかって私の記憶の何かと絡みつきそこにとどまって揺れている。

やがてそこから湧き出る懐かしい思い出。

調布から引っ越してから、いやその前にも中学高校生になってからもあまり行くことのなくなった布田天神

毎月25日がお祭りで、毎月待ち遠しかった。
私にとっては参道に広げられるお店が楽しみであったのだが。

しかも今思い出すことも
何かを買ってもらったお店でのことしかないけれど。
その前にちゃんとお参りしていたのだろうか。ふと心配にもなる。
たぶん大丈夫。
「お参りしてからよ。」と母の声が聞こえる。

そのとき買ってもらったのはおままごとの道具だった。
最初は木製のテーブルやいすだったが、後にコーヒーカップやポットなどはプラスチックになった。どちらもとても大事にしていた。

天神通りなど昔より雰囲気もありそうで。

いつかゆっくり行ってみたいな。
調べていたら駐車場もあるらしいので、母と一緒に行きたいな。

「布多天神社の創建はあまりに古く定かではありませんが、延長五年(927年)に制定された「延喜式」という法典にその名を連ねる、多摩地方有数の古社で、社伝によれば第11代垂仁天皇の御代約1940年前の創建といわれております。

文明九年(1477年)に多摩川の洪水をさけ、古天神というところより現在地へ遷座され、その時に、御祭神、少彦名命(すくなひこなのみこと)に菅原道真公を配祀されました。

江戸時代に甲州街道が作られ、上石原、下石原、上布田、下布田、国領の五宿ができ、布田五宿と呼ばれました。
当時、布多天神社は布田五宿の総鎮守であり、五宿天神と崇め祀られておりました。

そして布田五宿は、明治二十二年に飛田給、上ヶ給と合併して調布町となり、当社は調布町総鎮守となりました。」HPより

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