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2008年2月12日 (火)

箱根湯本へ…早雲寺①

20082_040 連休最終日
いい天気の予報だったので
母を誘って箱根湯本の温泉へ出かけた。

夫と、前夜遅くまで、というか朝まで友達の家に居た息子1も合流して。

朝の道はすいていて、
息子の空いている道ナビのおかげもあり,1時間ちょいで着いた。
途中SAからも富士山が真っ白だった。20082_043
着いた時間は9時すぎ、開くまで1時間ほどある。

それじゃあ
早雲寺にでも行くか、ってことになる。
20082_048 ここに来るのは何度目かで、
いつも思っていた。あの有名な北条早雲の名を冠した寺なのに、
小さくひっそりとしている。

それはなぜか。
前からの疑問の、その理由を今回よく理解できた気がした。20082_051 栄枯盛衰でありますなあ。
訪れる人も少ない小さな寺。
戦国武将の中でも傑出した人物であった北条早雲
早雲寺は大永元年(1521年)、この北条早雲の菩提寺として創建されたと言われている。
関東屈指の禅刹(禅寺)として威容を誇った寺であったが、天正18年(1590年)4月5日秀吉は箱根を越えてこの早雲寺を本陣とした。
そして6月下旬、近くの山に一夜城を築くのだ。
そしてそれが完成と同時にこの寺には火を放ち、すべてを灰にしてしまったのだ。
何しろ戦国武将の名だたる早雲の名を冠した寺である、残してなるものぞと言う気配意気込みだったのだろうか。
小田原城落城とともにこの寺もまた北条氏と運命を共にすることとなった。


20082_054往時、早雲寺はこの湯本の地全体を境内とし、
七堂伽藍を備えた本坊と十数の塔頭、寮舎の伽藍が林立し、
五百名を超える衆僧によって活気あふれていたという。

寛永4年(1627年)方丈再建から始まり、
寛文12年(1672年)8月15日
早雲の命日に北条5代の墓は竣工されたという。
20082_072 往時の様子とは格段にささやかな早雲寺ができたのは、
小田原北条氏滅亡から82年後のことであった。
墓のそばに立っているこれらのことを書いた案内には何か無念さも漂う。
早雲の三男北条幻庵作の庭園。

ひとしきり昔の武将と寺との関係など語り合った。
連歌師の宗祇も深い関係がある。飯尾宗祇(俳句の始祖)の墓。
句碑「世にふるは 更に時雨の やどりかな」。
 秀吉が一夜城で使った鐘(藁葺き屋根の鐘楼)もある。
(②へ続く)

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