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2008年1月28日 (月)

「ふるさと」と「あまのはらぁ~」

20081_074 NHKの朝ドラでは五木ひろしの「ふるさと」がサブテーマのように出てくる。
「あ~ぁ誰にもふるさとがある~ふるさとがあぁる~♪」
ふるさと、
いろいろな意味でみんなふるさとを持っている。
実際にあの地に、心の中のかの地に。
で、突然ですが…


天の原 ふりさけ見れば 春日なる
         三笠の山に いでし月かも

ご存知、古今和歌集、百人一首にもある阿倍仲麻呂の歌である。
この歌がどのような場面で詠われたのか、ご存知だろうか。

彼は19歳の時に第8次遣唐使として唐にわたり、
17年後、第9次遣唐使とともに帰ろうとしたが、玄宗皇帝に許されず
36年後第10次の時にやっと中国側の使節としての帰国をすることになります。

これはその出発の時に唐の仲間との別れの宴で詠んだ歌といわれています。
もう彼の目にはふるさと奈良の景色が浮かんでいたのでしょうか。

大空をふり仰げば、遠い春日の三笠の山に出ていたあの月が見えるなあ、というような意味。

36年間、唐で出世もし、友もできましたが、望郷の念はどれほどだったでしょう。

ところが、やっと日本へ帰れるという
この船は嵐でベトナムの方まで流されてしまいます。
そこでも賊に襲われたりする中、九死に一生を得て
長安に帰りつき、
李白などは彼が亡くなったと思って追悼の詩を作っていましたので、びっくりします。
そして72歳という当時では長寿を異国の地、唐で全うします。

ふるさとに帰るときに異国の地でふるさとを思い詠んだ歌、
しかもその人はふるさとへは帰れず・・・
その時の思いはそのままこの和歌の中に閉じ込められ
完遂することなく残ります。
それが後世の人の胸を打つのでしょうか。
紀貫之なども土佐日記に書いています。

かなり優秀な人で、唐でも高官となり、科挙にも受かったという話もあります。
文才もあり、有名な李白や王維などとも友達でした。
唐での家族とかの話は聞こえてきませんが、
望郷の思いとどのように暮らしていったのか。
興味がわきます。

この歌が単に奈良の都で歌われたのではないということ。
彼の有名な和歌はこれ一作、
しかも百人一首では最も有名な和歌とも言われていること。

ちょっと調べ物をしていて、こんなことを切なく思いました。

ふるさとは遠きにありて思うもの…
などと、彼には決して言っていいものではありますまい。

ふるさとには行けるときには行っておきましょう。
他の場所も、同じです。
はぁ、いつもと同じ結論じゃぁ。
(写真は快晴の青空にいたずらな飛行機雲)

天の原  ふりさけ見れば  春日なる  三笠の山に  いでし月かも

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