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2007年2月 8日 (木)

映画『アバウト・シュミット』

どういうわけか、二日に分けてみたジャック・ニコルソンの映画。2002年  11

アバウト・シュミット
Amazon.co.jp

保険会社を定年退職したシュミットは、ひまな毎日に嫌気がさし、チャリティ団体に応募。援助するアフリカの少年に手紙を書く。ところが簡単な自己紹介のつもりが、妻への不満など、グチばかりつづることに。そんなとき妻が急死。愛娘が帰郷するが、彼女が連れてきた婚約者はとんでもないアホだった…。
   平凡な男シュミットの老後の日々をシニカルなユーモアを散りばめて描いた人間ドラマの傑作。主演のニコルソンが、口数は少ないけれど、心の中ではグチってばかりの怒れる老人をチャーミングに演じている。ユーモアの中に孤独を垣間見せる絶妙の演技は、オスカーノミネートも納得の素晴らしさだ。また娘の婚約者の母親を演じるキャシー・ベイツの豪快な老ババぶりも必見。監督&脚本は『ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ』で脚光をあびたアレクサンダー・ペイン。(斎藤 香
 

ちょうど夫が60で定年延長の話をしている時だったので、興味深く、
いろいろ考えた。
「アバウト・シュミット」でのニコルソンは、さすがである。
他の役者では単に怒りっぽい老人か哀れみの年寄りになってしまいそうだが
頑固で皮肉屋でしかし哀愁も漂う、そんな人間を演じている。
人は多くの面を持っているのだから、そうでなくてはね。

永年勤めた会社を退職し、家族にも祝ってもらった。
しかし、毎日をもてあましてしまい、よけいなことばかり考える。
自分がいなくて不自由していないか、会社に行ってみると、誰も何も困っていなかった。
奥さんにも長年圧迫されて愚痴は出る出る。小さな事にいらつくのだ。
そんな中、妻に急死されてしまう。掃除機をかけたままだった。
自分が地位も家族もない、自分ひとりになってしまったかの気分。

長年の大企業でのサラリーマン生活が染み付いているのだ。
勤め上げた、そんなやり遂げてきたという自負ももろくも崩れていく。
遠方に娘はいるが、その婚約者とその家族がどうしても気に入らない。
娘にはもっとふさわしい人がいると思ってしまう。
しかし、結局、説得できず、披露宴で新婦の父親としてスピーチをすることに。
ニコルソンの表情は、土壇場で何かやりそうな雰囲気。
ところが結局、あれほど嫌っていた新郎一家に対し、感謝の言葉を述べてしまうのだ。
その後、一人で何とも言えない表情で自己嫌悪に陥るのである。
自分の心と裏腹に全体を見ていい顔をしてしまうのだ。

 でもそれで良いのかもしれない。
どうしても譲れない部分をのぞいてはそんなにがんばらなくても良いのかも知れない。
生きていく上で何に満足するか、自分らしく生きられるかというのは、
単に楽にわがままに生きることから得られるものでもないだろう。
大切なのは自分が心から満足できて、自分らしく素直に、そして周りにも優しく生きることなのではないか。
心は自由なのだから。

長い会社生活でどうしても自分自身の意思を自分で抑制してしまう。
そういう枠をはずそうとして、できない自分にもいら立ち、悪戦苦闘していく。
自分がこれからどうするのか、考える、反省する。自分探し。
しかし無いものは「無い」のだ。
孤独と虚無感を持って、
旅からひとり広い我が家へ帰ると、フォスターピアレントになったアフリカの子供からの手紙が来ている。
その絵を見て、純粋な気持ちを感じて、かれは感動し涙する、ラストシーン。

ぶつぶつ愚痴を書いていたシュミットが、子どもからの絵から、また再出発し、
これから先の人生をどのように生きていくのか、そこが楽しみだ。
足りなかった部分を補い、どうぞ豊かに生きてほしい、そう願う。自分自身を重ねて。

人はみんな自分の人生を生きている。
いろいろ不満もあり、しかも平凡かもしれないけれど、その人だけの人生。
確実に誰にも「自分」はあり、
それをどう生かし、生きていくか。

人生を一緒に行く人もずっと一緒ではない。
どこで別れるかそれはわかっていることも、わからないこともある。
そんなことがわかっているようで忘れてしまう。
今日も大事に生きよう、そう思った。

個人的にはシュミットが妻への愚痴で「いろいろと買い集め浪費している」といって
「陶器の指ぬき」や「置物」が映されるところで、あちゃーと思った。

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