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2007年1月10日 (水)

『わたしの名は紅』オルハン パムク

わたしの名は「紅」 わたしの名は「紅」 

著者:オルハン パムク
販売元:藤原書店

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内容(「BOOK」データベースより)
黄昏のオスマン・トルコ帝国にしのび寄る、ヨーロッパ文明のコスモロジー。東西文明が交錯する都市イスタンブルで展開する細密画師たちの苦悩と葛藤を描く。歴史ミステリー小説、遂に上陸。国際IMPACダブリン文学賞、フランスの最優秀海外文学賞、イタリアのグリンザーネ・カヴール市外国語文学賞等を受賞。
単行本: 628ページ 出版社: 藤原書店 (2004/11)

正月から取り組んで(まさに取り組むという感じ)
明日が図書館への期限で昨日午前中かかって後半3分の一を読み終えた。
今年の1冊目。

読み応え有り、手強い本でもあった。
今までに32カ国が版権を取り、23カ国で翻訳出版されている。
単なる「犯人は誰か」的ミステリでも読めるし、歴史・社会小説としても見知らぬイスラム世界の葛藤、風俗などがよくわかる。
おまけに恋物語もある。盛りだくさんの本であった。

作者は去年のノーベル文学賞をもらったトルコ人。イスタンブールに住む。
東洋と西洋の微妙な場所トルコ。
前に読んだ
ヒストリアン」にも出てきたトルコ。
時代は違うが、興味を持って読んだ。
物語は1591年の冬イスタンブールでの雪の9日間のできごと、と後書きにある。

話は小さな章で語られる。「わたしは屍」から始まり、「わたしの名はカラ」「わたしは犬」「人殺しと呼ぶだろう、俺のことを」「わしはお前たちのエニシテだ」「僕はオルハン」そして「わたしの名は紅」のように59まで続く。

テーマは「絵」。
トルコの、イスラムの伝統を引き継ぎ、規制された中で絵を描く細密絵師。
そこに西洋の自由な絵画、絵自体を見るために書かれる絵画が入ろうとする。
トルコの絵はあくまで挿絵であって主張はないのだ。
写実的、自分であることという考えが西洋から入ってくる時代。
西洋ではみんなが肖像画を描いている。書かせている。
そしてトルコでも自分の良い時代の肖像画をほしいと思い魅せられてしまう人がいる。

そういう絵の考えの攻防を巡って殺人事件も起こり、
さらには美しい女性を巡る話もある。
それらが我々には縁遠いオスマントルコ時代の長い文化の歴史の中で語られる。
かなり哲学的であり、芸術的な面もある。

絵とは何か、
何のために描くのか。そしてそれをなぜ尊ぶのか。

西欧の遠近法、写実、自由な描き方とは違う絵があると言うこと。
一本の木の絵でも地平線をどこに引くかで変わってくる。

しかも偶像崇拝を禁じるその規制の中の人たちも、確かに肖像画を自分のために望み、違う世界に開ける窓を開けたいとも思っていたのだ。
「日本の読者へ」という前書きにも
中国や日本の絵画を知ることで広がる世界について描いてあった。
また、作者さえ、西洋の外にある強力で豊かな他の絵画の伝統(中国や日本)を全く識らなかった、という。
中国や日本の絵をこういっている。
「山や森や木や川を人間の魂の苦しみや悦びによって変化するものとして表現するあの詩的風景や、遠近法の人間中心の計算に屈服することのない無数の巻物の絵を『私の名は紅』の細密絵師たちも見ることができたらと思いました。」

絵画芸術の仕事が人間の魂を描くことであるのならば、それは西欧だけでなく中国や日本の絵画の与えるもう一つの人間性の存在があり、それらはまた調和して互いに影響しあい、絵画という芸術の高みにみんなで登ることができる。

10「わたしは一本の木だ」に「わたしは一本の木ではありたくないのです。木の意味でありたいのです。」
42「わたしの名はカラ」に「つまるところ奇態とは何なのだ。」

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