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2006年2月の19件の記事

2006年2月26日 (日)

「歳をとると時間が早くなる」のはなぜか。

もう2月も終わり?」早い!
いくら「2月は逃げ月」などといっても。

こんな文を読んだ。
「人はなぜ年をとると時間が早く過ぎるのか。」
子どものころどう思っていたのかは忘れた。
しかし最近の時間の早さはどうだろう。
何もしないのに一日が過ぎてゆき、あっという間にまた週末がやってくる。
実際には誰にとっても時間は平等にあるのに。

その文にはこうあった。
「年を取るということは経験が多く身に付くと言うことである。
そしていろいろな経験が見についたことによって、毎日がスムーズに抵抗なく生きられる様になる、」というのである。
何か変わったことが起きても経験がその対処法を教え、
変わったことも「前にもあったこと」になり、驚かなくなるのだ。

そうして毎日の暮らしが習慣化し定型化していく。
こうして身につけた知恵が生活を効率化し、暮らしはその定型のうちに埋没していくのだ。
毎日のできごとがきわめて特殊でない限り記憶から消えていく。
記憶のない毎日は年を取れば取るほど経験が身に付けば着くほど増えていく。
そうして毎日は記憶からも消え時間は記憶の中に埋もれて過ぎていくのだ。

年を取ることは衰えるだけではない、経験は多く身に付いていくのだから、
そう聞いたことがある。
しかしその経験が誰にも平等にあるはずの1日24時間を
同じように感じ取れないというのは果たして喜ぶべきことなのか。
だからといって
毎日刺激を求めて暮らすのもどうなのだろう。

曲がり角も数回曲がって元に戻ろうとしている今
先も見えるかもしれない今、
私は私たちはどんな風に時間を意識して使っていったらいいのだろうか。

私にとっては「ブログを書くこと」が
何かを考えさせ何かを残すことにつながってはいると思う。

感受性のアンテナを磨いておくことが大事なことだと再確認する。
トップの「平凡な暮らしの中に何か光るものを見つけて
これからも暮らしていこうと思う。

おや、もう今日も終わりだ

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2006年2月24日 (金)

「人との距離感」…ご縁というもの

「人との距離感」
友人が言ったその言葉を今日は考えていました。
いろいろな意味で考えられますが、ここでは大きな意味でのそれについて。

生きていく中で多くの人と知り合いますが
それは地球上の人に比べたら比較になりません。

だからせっかく知り合えたのだからご縁を大切に。」そう思います。
でも
近しいと思っていた人にそのときだけ距離感を感じることは良くあります。
また逆に何かの拍子に近く感じることもあります。
どちらの程度が多いかで「親しいかどうか。」になるのでしょうか。

物理的にも心理的にも
ずっと近くにいるのは家族だけなのかもしれません。

しかし
なにかしらのご縁のある人は離れても、またいつか近くにやってきます。

私たちは大きな池か何かの中で
多くの人とぐるぐる回り、それぞれ流されているだけなのかもしれません。
他にも同じような円があって
円どうしもまた近くなったり離れたり。

あるいはこんな風にも感じます。
生と死を結ぶ線の上で、
人は自分の道と他の人との道を交差させ、絡み合って
時に同じ道を行き
また枝分かれして
生きていくのかもしれないと。

子どもが小さい頃、しょっちゅう役員をしていたせいで知り合った人は多く、
歩いていると知り合いばかりで、
夫が驚くほどでした。
自分が学校で知り合いだった人も数知れず。

そんな中で
減ったり減ったり減ったり、そしてすこし増えたりして
今の私の仲間がいます。

見えない、人とのつながりです。
「ご縁」という言葉は便利で良い言葉です。

Photo_5 もう10年以上前に友人からもらった益子焼きのカップです。
ロックに夢中だったあのころがここにはあります。
真鍮製のスプーンもおみやげにもらいました。(カップシリーズ5)(4へ6へ)

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2006年2月23日 (木)

春の香り

Photo_3 我が家の野草採集班長?が出張から帰ってきた。
今度は三浦半島あたり。

洗濯物と一緒に持って帰ったのは
たくさんの黄緑色も鮮やかなふきのとう
今が盛りだったらしい。

今日は天ぷら美味しいぞ!らんらんっ!!

久しぶりにプールPhoto_4に行って、友人作のたくあん(手前)と大根のビール漬けをもらった。
ありがとー。

美味しかった。夕食で好評でした。

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2006年2月22日 (水)

『空中ブランコ』奥田英朗

文藝春秋社 2004年4月 
【第131回直木賞受賞】人間不信のサーカス団員、尖端恐怖症のやくざ、ノーコン病のプロ野球選手など。困り果てた末に病院を訪ねてみれば…。「イン・ザ・プール」から2年、トンデモ精神科医・伊良部が再び暴れ出す!

型破りに見える精神科の医者が面白い。伊良部先生の活躍?の描写がテンポあり、マンガチックで思わずニタリ、にやり。
一日しかも数時間で読めた。軽いけど面白かった。

「空中ブランコ「ハリネズミ」「義父のヅラ」「ホットコーナー」「女流作家」
それぞれの主人公が日常生活の中で何らかの「恐怖」に陥り暮らしや仕事に支障が出てくる。そんな人たちが変な先生にはまっていく。

みんなゆったり行こうよ、
のんびり行こうよ。大丈夫だから。
そんなことの再確認。
みんな必死に生きている。みんな何かを我慢して生きている。
どこかではき出さないとおなかがいっぱいになってしまう。

テレビ化されているようだが先生はなんと阿部寛。原作とは違う!
伊良部先生はどんなイメージ?
西田敏行かな。もう少し変じゃないといけないかな。
前作では「松尾スズキ」だったようだ。
 今思うと私はあの野球の「伊良部」をデフォルメして想像していた。
 プラス「ガキデカ」?
もしかしたらいたずらな神様かスーパーマンなどとも思ったヘンな先生。

各編がパターン化されているがそれがまた面白い。
1編目でそのおかしさに触れ、2編目でおかしさを知った。「ハリネズミ」
そのあとはそのパターンに安心し、心を落ち着ける。
大人のおとぎ話かもしれない。 ☆四つ半
Sannrio Parutenonntama
出先でパチリ?雨の「サンリオピューロランド」と「パルテノン多摩」。
まごっちとこんなところへも行くのかしら?何度も見ている景色が変な感じです。

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2006年2月20日 (月)

日帰り温泉野菜買い出しツアー

去年の暮れにいって好評だったので再度開催。1月は雪のため中止。
っていうか
息子1が暇だったらしいので、すかさず逃さず遊びに出かける。
我が家はまだまだ下宿屋状態。旅でも必ず買い出しをします。

Yasai 少し安くなったとはいえ野菜は高い。
深谷ネギの産地に行く。
まあ!安い、いつもと変わらないのが嬉しい。
ネギ3束、ほうれん草3,白菜、キャベツ、ブロッコリー大根人参ジャガイモ、タマネギ、こんにゃく、漬け物等々買い込む。
ほとんど100円程度。
母も買い物にテンション上がっていました。

Hana レジできれいな花を買っている人を発見。
「どこにあったのですか?」
あわてて、また買いに行く。
ミニシクラメンなど見切りなのか安い。これまたほとんど100円。
車の中で母は花に見とれて幸せそう。
「花より団子」だけど、たまには花も必要。心の栄養です。

最後はおやつです。たくさんあって私も嬉しい。
山梨Kasi信玄餅(娘から)、房総土産のイチゴのチョコクランチ、(妹から)、秋田のりんごパイ、金沢のきんつば、水戸の吉原殿中、のし梅(以上出張続きの夫から)、ディズニーランドのチョコ(息子1の会社の誰かから)、秋田のアップルパイ(夫から)。
母がアップルパイが好きなんです。
 ついでに私も・・・

食べ物がいっぱいあるって嬉しいなあ~

もちろん温泉もゆったり入りました。体が軽くなりました。
今日は母もぐっすりでしょう。
また行こうね。

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2006年2月17日 (金)

エジプト

25bc_3

友人からエジプトの写真が送られてきた。

例の貴重なネックレスを買ってきた友人だ。
また「水上バス」を教えてくれた友人でもある。

雄大な写真を見て「行・き・た・い!」「いつかきっと。」そう思った。
どれもテレビで見たことあるものだが
まだ私には「はるかなもの」の一つである。

55fe_1

454a_2上から
「ギザの三つのピラミッド、
アブシンベル宮殿、
エドフの神殿の浮き彫り。」
奇しくもHさんつながり。

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2006年2月16日 (木)

『ベツレヘムの星』アガサ・クリスティ

早川書房 ⑭
この本はクリスティのクリスマスに関する短編集です。
宗教が背景にあるようですが、私にはそれを超えたほのぼのしたものが感じられます。
主人公が聖ペテロであってもあるいは無名の何かであっても。
時にはクリスティの辛口の皮肉も入って、キリスト教を知らないものにも思いは伝わります。

この中に「水上バス」という短編があります。
友人と「春にして君を離れ」について話したときに
「私はこの話が好きです。こんな奇跡が私にも起こらないかな。」
と紹介してくれました。(解説によるとこの二冊は同じ系統らしいです。)
早速読みました。

その主人公は自分で「人が苦手」と思っている穏やかないい人。
人混みを避けて水上バスに乗りちょっとしたきっかけで
人の見方が変わるという話。
周りの今でいうところの「うざったい?」と思ってた人たちを見直す心が生まれ、自分の見える世界も変わって来たのです。
「人を愛さなきゃいけない」そう思いつつそうできない自分に心が残る順良な中年女性。
この主人公のように自分のことをじっくりと内省し前向きに思うことこそ大切だと思う。
そんなことも考えずに暮らしてる人も多いのではないかしら。
世の中「金さえあれば風な気持ち」でね。

話してくれた友人は穏やかで何でもできる人。
そうは思えないけど、きっと自分をそんなふうに思うことがあったのでしょう。

でも、でもね、私は思うんです。
人が苦手、ということは「人が好き」なのだと。
あなたにそんな奇跡は必要ないと。
読んだときはそういう気分だったかもしれないけど、
別の気分の時は「人が好き」になっていると思う。
それだからこそ人間、と思います。
主人公もきっとそう。
誰かが奇跡を起こしてくれたのではなく、それはもともと自分の心にあったのだと思うのです。

どんなものにも表裏がある。
裏に回ればそこは表で、さっきまで表立ったところが裏になる。
スポットライトのあて方で見え方は変わってくる。
 
そして、そう、わたしたちは丸い地球にすんでいるのよね。
さっきまで夜だったかの地に朝日が差して、こちらには夜がやってくる。

 私は特定の宗教を持たない。
だからどこででも手を合わすことができ、
様々なものに心の平和を得ることができると思う。
「性善説」が好き。私は悪人やその家族の心の奥の哀しさを考えてしまうのです。(関係ないか。)
「水上バス」と「いと高き昇進」が良かった。

ベツレヘムの星 Book ベツレヘムの星

著者:アガサ・クリスティー
販売元:早川文庫
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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2006年2月15日 (水)

一部屋にする?

パソコンに向かって3月の旅行の計画中。
今年も10日ほど母と出かける予定であった。
しかも九州まで。
しかし83になろうとする母が少しびびって?近くに小分けにしていくことになった。

その第一弾暖かいところへ、美味しいものと温泉。
ということで静岡あたり、海の見えるいいホテルを発見。
さらに妹夫婦たちもいけることになった。

これからが問題である。
ウィークディなのでだいぶ(1万円近くも)安くなっている。
この違いは結構なものである。(良いことだ)
さらにその価格が3名ずつ二部屋だとひとり14000円ほど。
ところが一部屋で6人だと13000円になる。
ひとりあたり1000円×6で6000円。

こう書いているとたいしたこと無い気もするが(やっぱり?)
みんなでお茶ができる。
などと考えてしまう「けち根性」が芽生える。

私より経済観念の発達した妹に聞いてみると、「6000円は大きいよ、」とのメール。
さてさて
優柔不断な私は悩んでいる。
どうしようか。
私はどうなっても楽しいんだけどねえ。

結局母に電話してご託宣「一緒で!」
そうだね、せっかく一緒に行くんだから。
楽しみ!

Nekoneko_1 明日は雨かい?
しきりに顔をあらう猫。

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2006年2月14日 (火)

『蒼穹の昴』 浅田次郎

講談社文庫 全4巻 ~⑬

汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう―中国清朝末期、貧しき糞拾いの少年・春児は、占い師の予言を通じ、科挙の試験を受ける幼なじみの兄貴分・文秀に従って都へ上った。都で袂を分かち、それぞれの志を胸に歩み始めた二人を待ち受ける宿命の覇道。万人の魂をうつべストセラー大作。

最初の占い師の語り口が妙に心に残る。そしてそれに導かれるように話は進んでいく。「壮大な」、解説には「破天荒な」とあったが、歴史の中に織り込まれた物語。実際の人物名も多く何がほんとなのか分からないが、実に楽しく読めた。

4巻といっても字も大きく、読みやすく、我々はターゲットだったのかな。

中国の清の時代とイタリア、ベネツィアなどの美術、音楽の話も織り込まれ、歴史絵巻のよう。科挙制度の複雑さ、その問題点。

日本の明治維新。その時代の世界観。「尊い書経の訓えを何一つ理解せず、ただ丸暗記をして科挙に登第した僕ら士太夫が政治を語り始めたとき、国家は自ずから衰亡の道をたどったのだ」と登場人物は最後に思う。そうして時代は変わっていく。

時代は異なるが「大地の子」を読んだような気持ち。長い時間の中に様々な人がけなげに雄々しく生き、それは大きな渦となり、生きた証を歴史に残していく。

中国西太后や清国末期の映画も見たがそれらとも異なり、また重なるところもある壮大な話だった。

天命や定められた星の運命もそれに従うだけでなく変える努力をすれば、心から望んで努力すれば変えることができる。そうよね、そうじゃなければつまらない。生きていく楽しみもない。

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2006年2月13日 (月)

映画「スライディング・ドア」

1997年/アメリカ・イギリス/1時間40分 

グウィネス・パルトロウ/ジョン・ハンナ/ジョン・リンチ/ジーン・トリプルホーン

ヘレン(グウィネス・パルトロウ)は広告代理店のエグゼクティブ。作家志望のジェリー(ジョン・リンチ)と同棲している。遅刻してミーティングに出た途端、クビを言い渡される。最悪の気分で駅に向かった彼女は電車に乗り込む寸前にドアが閉まってしまう。何から何まで裏目に出る。 そこで、もし電車に間に合っていたらどうなっていたか。ヘレンの二つの物語。 飛び乗った地下鉄の車内では、ヘレンはステキな男性ジェームズに出会う。そして家に帰った彼女は、ジェリーが昔の恋人リディアとベッドの中にいるのを目撃する。だが、もしも・・・?ドアが閉まって地下鉄に乗れなかったとしたら?帰宅したのはリディアが帰った後。ジェリーの裏切りを知ることもなかった・・・。

もしも、もしも・・・
こうして二つの話が織り込まれていく。
ショートカットがかわいい。情けない浮気男とのヘレンはおとなしくて、少々情けない。髪をばっさり切ったヘレンは新しい道を行く。 しかし最終的には彼女は自分で自分の生き方を決めていく。
運命はどこでどうなるのか。
分からないからこそ自分でドアを開け、先へすすむのかな。
もしかしたら私たちの周りでも、見えないところで人生の「スライディングドア」が開いたりしまったりしているのかも。

話は違うが、昔、学生の頃電車にふーふーぎりぎりで乗ってばかり。
一台乗り遅れたら出席厳しい授業に遅刻だ。汗かいて、雨の滴を足いっぱいに垂らして電車に間に合ったときいつも思ったものだ。
「電車に乗れるのと乗れないのでは大違い。」
どんな格好でも息切らしていても、乗ってしまえば降りるときにはみんなと同じ。
すましてまた始められる。
私はちゃんと電車に間に合いましたよ。ってね。

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2006年2月11日 (土)

春?花粉だっ!

Photo_7 寒かった冬から春への予感がしてきた今日。
実家の庭も福寿草がつぼみをふくらませ、梅の花が咲き始めている。
どちらもいつもよりは遅いようだ。
案の定、くしゃみ鼻水風邪かと思ったら花粉だった。
なんと感度の良い体.!

Photo_8 命の息吹を感じる春は元気がもらえて嬉しい。
しかし一緒に花粉もやってくる。
上手につきあって行くしかないか。
春だもんね。
天気予報では明日は寒気がやってくるという。

では、花粉はやってこないということだ。

やれやれ。

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2006年2月 9日 (木)

猫が届いた!

Neko 今日友人から届いた猫ちゃん。
「ぶら下がり猫」といって、お母様の作らしい。
今でもいろいろ手芸を教えたりもしているようだ。和の布で大きさ「け伸び」の状態で22センチ。中に少しおもりが入っているので座りも良い。
ぶら下がったり、寝ころんだり、寄りかかったり、逆立ちしたり?自由自在。いろいろポーズを取ってみたがぶら下がらせるのが一番かわいいかも。さすが。

今年は戌年ということで強引に「もらった。] パソコンの前に座る猫もまたかわいい。
見れば見るほど愛嬌ある顔してる。作り手に似ると言うけど、どうかな。
しっぽが今にも動きそうでしょ。玄関に実家からもらったガラスの犬と置こうと思う。 やはり布は良いなあ。私もがんばろう。かな。 どうもありがとう。お母様によろしく。

Neko2 テレビで矢沢永吉がロックしてる。
タオルが舞ってる。
私も足の指でのっている。
なかなかです。

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2006年2月 8日 (水)

『ウルフ・ムーンの夜』スティーヴ・ハミルトン

スティーヴ・ハミルトン ハヤカワ・ミステリ文庫 2001 
私立探偵アレックスのもとに、ドロシーという女が訪ねてきた。暴力的な恋人ブラックマンから逃げる手助けをしてくれという。彼はロッジに泊めるが、翌朝ロッジは荒らされドロシーの姿は消えていた。ブラックマンの仕業か?自責の念に駆られ、アレックスは彼女の行方を追うが、やがて麻薬密売に絡む二重三重の追跡劇の渦中へ!アメリカ探偵作家クラブ賞などトリプル受賞に輝いた『氷の闇を越えて』に続く注目の第2弾。」

前作も北の寒い雪の中に埋もれた作品だった。
今度も寒い、冷たい

中での言葉「寒さは君の一部を奪い去るかもしれない。体の一部ではない。心の奥底にあるものをだ。」
「魂まで凍てつかせたら、あたたかさを感じることは二度とない。」

寒さとは心の中を凍えさせるものだ。 前作から2ヶ月ほどたった1月半ばのミシガン。彼はタフだが心はナイーヴ。心の傷も癒えないうちにまたもや事件に巻き込まれる。というか自分から進んで。
そして事件が終わったあとは、さらに孤独の中の闇を嘆いて、息をするのも大儀になっている。「アイスムーン」の下で眠って、いつか元気になるのか。次作へ続きそうな予感。
インディアンの仲間との友情や居留地も出てきて不思議な雰囲気。ミステリ本格ものとは言えない、事件よりは彼の心や風景が物語。しかも少しハードボイルド。そういう割に読後感が良いのだ。

「ウルフムーン」「アイス・ムーン」はアメリカ先住民の1月、2月の言い方らしい。

1月 ウルフ・ムーン  2月 アイス・ムーン  3月 ストーム・ムーン 4月 グローイング・ムーン 5月 ヘア・ムーン〔兎の月) 6月ミード・ムーン(蜂蜜酒の月) 7月 ヘイ・ムーン(干し草の月) 8月 コーン・ムーン 9月 ハーヴェスト・ムーン 10月 ブラッド・ムーン 11月 スノー・ムーン 12月 コールド・ムーン

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2006年2月 7日 (火)

「失われたもの」

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空はいろいろな模様を見せてくれる。 チャンネルをがちゃがちゃ(古いね。)回していたら国会中継で「ネットの進歩が著しい・・・」とか大臣が述べていた。
先日ちょっと一部を読んだ文(「『声の銀河系』山田登世子、河出書房新社)を思い出した。
いつからともなく、私たちの世界から失われてひさしいもの、それは〈はるかなもの〉である。」つまり自分から遠く、近づきがたく手の届かないもの、そういうものが無くなってきているというのである。
それがひとであれば権威を感じさせ、ものであれば憧れをかきたて、風景であれば旅立ちへと誘った距離…その距離が,なしくずし的に風化してゆきつつある。」ともある。 我々から「はるかなものを奪い去り、すべてを近いものに変えていく破壊の使者、その名はメディアである。」という。
確かにそうだ。見たことのないものはないと言える。
メディアを探せば。
知らないこともない。メディアを探せば。
ときめいたり、あこがれることはその質を変えていると思う。
スターも身近になり、秘密めいた存在は少ない。 「テレビによって私たちは全世界とつながり、遠くを近くにひきよせるのだ。」遠くで起こっている出来事にリアルタイムで参加できる。
スイッチひとつで瞬時に成し遂げられる『遠く』の送りもの=贈り物は、私たちから〈はるけさ〉をうばってゆくからだ。」
確かにそうかもしれない。つかみたくてもつかめない。はるかにとおいもの。それは確かに近くなり、無いように感じるかもしれない。
しかしそれは一面であって「はるかなもの」は確かに今でもあるとおもう。変質しただけだ。破壊ではないと私は思う。
実際テレビを見て雄大な景色やきれいな風景を見るとそれだけで満足せず自分の目で見たいと思うだろう。
近いと感じた「はるかなもの」に会いたいと。
メディアは我々にどのような変化をもたらしたか。メディアに惑わされ使われてはいないか。
自分自身をその中心に据え、しっかりと立って周りの状況や物事を見ていかなければならないと思う。
〈はるかなもの〉も〈身近なもの〉もどちらも自分の目で見て考え判断する〈たしかなもの〉にしていくことが大切だと思う。

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2006年2月 6日 (月)

ブラックホール

話していると「うちにはブラックホールがある。」という友人が何人かいる。
えーうちだけかと思ってた。しかしみんながなくしたものは帽子とかそういうもの。 自慢じゃないが去年の最小で最大のブラックホール入りのもの。「家の鍵、車二台のインテリジェントキー」という「札束」じゃなくて「鍵の束」
秋から大掃除しても、ソファをひっくりがえしてもとうとう出てこなかった。
すでに遙か宇宙の誰かのイアリングにでもなっているに違いない。買うと高いので不便ながら、そんなことはおくびにも出さずに鍵穴に差し込んで使っている。

そのブラックホールの入り口を私は何となくかぎつけている。「この辺!チョコ
今そこで無くしたと思ってたマカデミアナッツ1個を発見。空き箱を捨てようとあきらめかけたら出てきた。
今日の嬉しかったこと、である。 だから忘れないように書いている。 コーヒーと共に食べるんだ!

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2006年2月 4日 (土)

映画「アップタウン・ガールズ」

2003 アメリカ 
伝説的ロックスターだった父の遺産でニューヨークの高級アパートに住み、自由奔放な生活を送っている22歳のワガママ娘モリー。だがある日、会計士に全財産を持ち逃げされ無一文に。アパートを追い出された彼女は生まれて初めて仕事を探し、友人の紹介で子守りになるが、その子どもが女性レコードプロデューサーの娘で、恐ろしく生意気な8歳の少女レイ。当然ながらふたりはソリが合わず、激しくいがみあい…」

一文無しになった元金持ちのワガママお嬢さまと、彼女が子守りをすることになった生意気な少女が繰り広げる騒動の顛末を描くハートウォーミング・コメディ
自分の同じにおいの人には惹かれるが、分かるだけに反発もする。
大人になるには守りたい人ができることが必要。

遊園地に行ったことのないレイ。バレエの発表会に来てほしい母が来ない寂しさ。どこにでもあるような話だけど、切なく、悲しく、嬉しい話。
最後は大人になれない22歳と大人のような(実は寂しい)8歳の友情になる。そして徐々に学んでいくのだろうか。母親も良い母になる?子役ダコタ・ファニングが切ないほど良い味。

もう一つ「ウイニング・シーズン/奇跡の野球カード」2004アメリカ 6
野球タイムスリップもの。初期の大リーガーの活躍と愛。最後が心和む、観たあとの気持ちが良い映画。

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2006年2月 3日 (金)

しゃべりたい私

一ヶ月ぶりに体操(一応ソフトエアロビクスという。)へ行った。
そこで友人から「ブログ見てるわよ。」
そしてさらに言う。「ブログ、ながーいのよ。時間がないと大変よ。」
そうなのだ。
私は短く簡潔に(同じことじゃない、ね。)ができない。
最近は思ったことを忘れないように書こうと思っている。中途半端なブログの下書きがいくつもある。
話したいことがいっぱいある。っていうか思ったことを外へ出したいのかな。
これ以上ため込んで、おなかがふくれたら空をも飛びそう。
そうなのだ。
私はきっとおしゃべり。 (おかしいなあ、無口なはずだが???)
頭で考えたことを忘れないうちに書いておきたいと思うのだ。
どうも「博士の愛した数式」の怨念が・・・(まだ読んではいないけど。)私は80分どころか数分で過去を忘れる、こともある。
たまには短く。どうだぁ〜

あんかけかた焼きそば野菜高い中、もやしメインのあんかけ、昼に帰ってくる息子1と私よう。
他の人は好きでないのであーる。
野菜食べたいときに鍋一杯作ります。
麺も揚げてみました。

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2006年2月 2日 (木)

ハッピー映画「マーサの幸せレシピ」

ハッピーになれる映画、見てほんわかする映画、やはり良いです。結末がわかってても何度でも見たくなります。これは3度目かな。

ドイツ2001年 
人付き合いに無関心な女性シェフが、周りの人間との触れ合いの大切さに気付いていくハートフルドラマ。最高の腕を持つ反面、人との関わりを軽視する料理店シェフ・マーサは、ある日事故で死んだ姉の娘を引き取ることに…。」レビューより

主人公マーサはしゃれたフランス料理店の几帳面なプライド高きシェフ、芸術的な料理を作る。
腕はとても良いが町で二番目といわれる。
なぜ?何かが足りないのだ。それを身をもって体験し、得ていくマーサ。不器用に、でも懸命に生きていく。 食事はみんなで食べるのが美味しい。
上手に作ればいいと言うのではなく、相手の気持ちを思いやって作ること。人と人との心のふれあい。その中で楽しく食べること。
それが何グラム、何度、何分という、きちんとした正確なレシピよりもおいしさを、そして食べた幸せを増すのだ。
レストランのキッチンでの料理も美味しそう。
床に座って美味しそうに黙々と?スパゲッティを食べるときの顔。
「イッツ ワンダフル〜♪」の音楽が心地よい。料理、音楽、ほのぼの3点セット。

我々の食卓においても反省させられる。
心のこもった料理を作ろう。そして団らんしながら食べよう。
そこから愛が育つ。 最近そういう気持ちを忘れがちではないか。 
     

もう一つ「口づけはタンゴのあとで」…1996 アメリカ 4これは少々おとぎ話。でも笑えるほのぼの映画。日本の題名が変。原題は主人公が世話になるお金持ちの夫人の名前。シャーリー・マクレーンが扮している。そして主人公も・・・ 

 

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2006年2月 1日 (水)

友のこと

人生は長いようで短い。
短いようで長い。若くして人生半ばで天国へ行ってしまった友がいる。
ひとり二人三人。みんな私のブログを読んでくれたに違いない友だ。
その中で太く短いつきあいをした友の命日。
彼女は人をつなげる長いたくさんの手を持っていた。彼女の手の先に多くの友がいる。
私は求められるところへは時に応じて行くが、そうでないと思うと引っ込んでしまう癖がある。つまり「でぶしょう?!!?」なのだ。
それで退屈もしていないのだから仕方ない。

彼女は誰にも求めることをおそれなかった。心から求めていたのだろう。
しかしこういうものはぐるぐる回ってどっちが先か分からなくなる。
私も求められていたと思っていたが、実際は世話をされていたのかもしれない。
彼女が亡くなってしばらくは私はその手がはずされたことを感じた。
私と他の友人との間のはしごが無くなった気がした。

咲き誇っているシクラメンしかし、ご縁(ご縁というもの)あって知り合う仲間は多くはない。
どんなにがんばっても世界中の人と知り合えるわけではないから。
人とのご縁は大事にしたいと思う。
去年もまた新しい友を得られたと思う。
この年になると単に知り合いよりは、心のひだを語り合える友がいい。
与える愛と求められた愛、深い愛を求め、持っていた友だったと思う。
彼女の分まで精一杯、がんばるぞっ!
私の口癖「せっかく生きているんだもの。」 シクラメンはここぞとばかりに咲き誇っている。すごい。がんばってるね。
わたしも・・・

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