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2006年1月の29件の記事

2006年1月31日 (火)

私のもちもの自慢は「友達」

みんな良いものを持っている。お金を出せばいくらでも良いものは買える。 いつも私はいいます。
私の持ちもの自慢は「友達!」 それぞれ あっちこっち、みんなすばらしい仲間。   (自分に自慢すること無いからってねえ。) 会ったこともない仲間もいるけど、会ったこと無いなんて思えない、いい仲間。良く考えるとどこの仲間でも私は末席に「居るだけ」だな。 みやげ日曜にあった友人のひとりエジプトから帰ったばかりでした。私は早速情報収集、行きたいところですから。おみやげももらいました。さんきゅ。
素敵なビーズのネックレス二連をしていました。「それがね。」彼女の話「がんばってまけさせたのに、1ドル札と20ドル札を間違って渡しちゃったのよ。がっかりよ。」
「おまけに次の場所へいったらもっと安くて一本1ドル・・・ですって。」
4枚渡しちゃったらしい。とほほ
それからのみんなのつっこみ
「まあそれだけ大事にできるし。素敵だから・・・」(慰めになってるかな。)
「1本1ドルのを買ってみんなに5ドルで売るとかすればよかったね。」
最後に「その安いのを10本ばかり買って、私たちにおみやげとか思わなかったの?」
みんな大爆笑。
私としては自分もやりそうで、頭の中にしっかり記帳。だいたいユーロ硬貨の違いが分からず、手のひらにのせて店の人に取ってもらってるようじゃあ、ね。
「完璧な人はいない。だから良いのよね。安心したわぁ。」 (そうか、それで私はいつもみんなにほっとするっていわれるんだ。大穴だらけで。)

もうひとり50年以上の友人Hなど集合時間近くに起きたとかで大遅刻。他にも遅れる人がいて安心してたら「彼女はちゃんと理由があったのよ。」がーん
そんなこんなの仲間です。スーパー才女も穴があるから面白い。ねっ。そこのあなた! ケーキ

おーっと今日はおっとの誕生日、夫も自慢ですぞ。
 はいはい。 日曜日も料理つくって待ってまして・・・ 
はいはい  
ケーキぐらい買ってこよう。 
 で、小さいのを買ってきました。

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2006年1月30日 (月)

「観客=全員出演者の集い」開催!!②

一通り食事が終わり、さてさてパフォーマンスの始まり始まり。
私をのぞくみんなは何かしら音楽をやっているのです。
わたし?私はロックのライブで踊るだけ。
緊張してる人、してない人、これって自信のある人、無い人なのかな。そうでもないようだ。合唱団に入ってる人も多く、まずは持ってきてくれた曲の合唱から、声ならし。
さすがみんな知ってる歌。同級生だものね。
集まった楽器たちそしていよいよ。ここからは友が書いてくれたのをまるうつし。
知ってる人も知らない人もそう言うことで。よろしく。
まずはビオラの演奏…エルガー「愛の喜び」 (よく知ってる曲でした。)
続いてクラシックギター…ターレガ「ラグリマ(涙)」 (これも知ってる曲だった。)生で直ぐそこで聞けるなんて幸せだぁー。
女声三重唱…メンデルスゾーン「三つの民謡」 ソロ歌唱…「オンブラマイフ」
アンサンブル(バイオリン2,ビオラ1)…「Canon&Gigue」、J.S.、Bach 主よ我が望みの喜びを、モーツアルトScherz−Duett、John Dowland 「Lento」、ブラームス 「子守歌」など。(私はバッハとかも好きです。)
女声二重唱…メンデルスゾーン 「いけ、我がそよ風」 ソロ歌唱…ケルビーノ 「我が胸のもゆるは」
バイオリン演奏…シューベルト 「アヴェ・マリア」 不思議な楽譜こんな感じでした。
次々に披露。外でおじさん聞こえたかなあ。
これは面白い楽譜。
モーツアルトはいたずらです。どちらからも演奏できるんです。
二人で弾くときれいにはまります。
ぶっつけ本番も二度目にはぴったり。

庭のウサギも壁の絵もご主人様の手作り。
いつもと違う音じっとに耳を傾けていました。

にわにはうさぎ

壁の絵

最後に渋々私も参加。みんなのを聞かせてもらったからね。
逃れられそうもなかった。あはは

リクエストのあった「かわいそカップうなぞう」を朗読。最初に息を整えなかったのでずっと苦しかったでーす。

最後にコーヒーいただいて、またみんなでうたって、暗くなった頃帰りました。
このカップも素敵。
別のもあったけど、このころには写真を撮るのを忘れてました。

盛りだくさんの一日ありがとう。楽しかった。
今日はこんなイメージ。ほんわか幸せ春色。

音楽、お茶、手作り、み今日のイメージんなの心のプレゼント。

言いたいこと言って、でもみんな認め合ってる、良いですねえ。

それぞれ何かを抱えて生きている。
素敵なものもいっぱい持っている。

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2006年1月29日 (日)

「観客=全員出演者の集い」開催!!①

かねてよりの「観客=全員出演者の集い」が開催の運びとなった。
なーんて大げさなものではないけど。 集まったのは高校の同級生9人、同じく同級生の開く喫茶店で。だから女性ばかり計10人。
高校は当時男子300人女子100人だったからなんと!その一割が集合です。
入り口住宅を開放しての手作り感のあるお店です。(喫茶 四季の花)冬なのでお庭もひっそりでしたが、夏蜜柑が太陽を浴びて光っていました。
季節にはさぞや,と思わせるお庭です。
続々と入っていく楽器を持った人びと。
それを見ていた灯油配達の人、「何か音楽会でもはじまるのかね。」
写真を撮ってた私「うん、そう。でもいつ始まるか分からないの。きっと食事で盛り上がっちゃうから。」
「何だ、残念だな。また見に来てみるよ。」「そうしてね」
彼はこのあと1時間後にもそろそろと通りましたが、相変わらず中からは笑い声しかきこえませんでしたとさ。ごめんね。
まずは乾杯して彼女のお料理です。
写真撮る前に食べちゃって、そろっていませんが、こんな感じです。野菜中心の自然な料理。食器も手作りで素朴。 いかの煮物はちこく米 「はちこく米」 山芋デザート 山芋のデザート、マーマレードがけ。

おやつは山芋の入ったお汁粉。

下は友のひとりが作こんな感じってきてくれたおみやげ。中はかわいい布のティッシュケース。

料理の作り方も何も聞かずおやつ お汁粉ひたすら食べる人たちであった。次は聞いてみようかなあ。…おみやげに続く

Photo_9

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2006年1月28日 (土)

『蛇の形』ミネット・ウォルターズ

蛇の形」創元推理文庫、2004年7月  最後に来て停滞してしまった。
謎解きの最後はじっくりと読みたいと思ったから。

内容「ある雨の晩、ミセス・ラニラは、道ばたで隣人が死にかけているのに出くわしてしまう。警察の結論は交通事故死。だが、彼女には、隣人の死に際の表情が「なぜ私が殺されなければならないのか」と訴えていたように思えてならなかった。それから二十年後、ミセス・ラニラは殺人の証拠を求め、執念の捜査を開始する。人間の内に潜む邪悪なものを描き出す、ウォルターズの傑作長編。」

事件から20年たって動き出す。人の心には何年たっても癒えない傷もある。納得できなければ。
半分の部分が関係者とのメールなどのやりとりで表されていく。
その町の住民の心と暮らし。それぞれが絡まった糸のように、あるいはそうなるべく織り込まれ、暴かれていく。
始めに「KKK団のプロパガンダ」が載っていたのでその話かとも思ったが、直接にはそうではなかった。
しかし人の心にすむ「それ」もテーマではあった。

犯人は誰か、というミステリ本来の謎解きもさることながら、なぜミセス・ラニラはそこまでこの事件を追い続けるのか。
実際彼女はそのことで忘れてしまいたいような大変な被害をこうむってもいた。 長い年月持ち続けた事件への心。そこまでするのはなぜだろうか。
友人のため。正義のため。そして愛する人、一番身近な人から自分が信じてもらえないこと間違って思われることの哀しさ。悔しさ。などだろうか。
最後で彼女がなぜそこまで近所の住人の事件にのめり込むのか、がさらっと証される。
なぜかほわっとして、納得。
これまた映像で行くとその文章が読まれ、町並みが空へとパーンして・・・ 解決して爽快、だけとはいえないけど、泣いたあとの爽快感はある。
重厚感ある、しかしドンパチもない、不思議な心理ミステリ。
人の心の中を描く作者のあふれるものが出てくるのだろうか。悲しいほどの邪悪?な心の家族に誰が立ち向かうのか、埋もれてしまいそうになりながらがんばる。
それぞれの心理描写、人物描写は少し客観的で私には入り込みにくいところもあった。登場人物が多いからかな。

「蛇にはそれぞれ形がある、毒のあるやつを見分けられなかったら、命はない」

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2006年1月27日 (金)

親指隠し

夕やけ今日は金曜日。病院、食事、墓参り、買い物、薬局と回って実家から夕方帰りました。

親指隠し」って言いますか?
そのまま読んで字の通り「親指を手の中に隠すこと」です。
今日も車を運転中に向こうから霊柩車がやってきました。ハンドルを握る手で私はその「親指隠し」をします。
それをしながら私はいつも小さかった頃の息子2のまん丸い顔と言葉を思い出すのです。 散歩から帰るときお墓などがあると息子は必死に親指をかくし、「親指を隠せ」と私にも言います。
つないだ手を離したり、私の手の中でもぞもぞして、無理矢理私の指を変えようとまでします。
そんなときいつも、私は笑って「そんなにしなくても良いのよ。」といいました。
「霊柩車に会ったとき親指を隠さないと親の死に目に会えない。」私は母からそう聞いていたので、それを何気なく話したかもしれません。
そして息子2はそう言うことを信じる方でした。

たしか幼稚園か小学校低学年の時のことです。
「そんなこと・・」と笑う私に、息子は私を見上げて非難するように大声で叫びました。
「お母さんはおばあちゃんが死んじゃってもいいのかぁ。」 非難するように、ではなく完全に「非難」していました。
そのときの必死な顔と声を私はいまでも覚えています。
そう思って心配して必死にやっているのに、なのに母親は笑ってそれをしない。
どれだけ心配していたのだろうかと、いじらしくも思いました。私は非難されても仕方ないことをしていたということになります。
「そうだね。それは困るね。」そう言って一緒に親指隠しをして歩きました。子供心にそう解釈したのでしょう。そしてそれがどんなに困るか考えたのでしょう。大好きなおばあちゃんだもの。

だからわたしは今でも霊柩車に会うと、運転の最中でもそっと気付かれないようにハンドルの中で、親指を手のひらに丸めて隠すのです。少し緊張ながら。

息子は今どうでしょうか。たぶん、きっと今も・・・だっておばあちゃんには元気でいてほしいもの。

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2006年1月26日 (木)

人間の性(さが)…収集癖

自分を、家族を基本に思うときものを集めたがることこれは人間、誰にでもあるのではないか、と思う。
いや犬にもあるから、動物の性(さが)? 私のように雑貨がらくたを集めるのも「たち」が悪い。
娘は反面教師でものを置かない暮らしをしているという。
しかし思い出作り、つまり人とのつながり、それに連なる旅や遊びには結構時とお金を使っているようだ。

どこまで集めてもきりがないものを集めるのは大変だろう。
その最たるものが「お金」 昨今の事件を見るにつけ、テレビの鬼の首を取ったような放送を見るにつけ(鬼の首だったのかもしれないところもあるかな。)その収集道にはまりこむと大変だなあと思う。
自分がどこにいるのか、悪いことなのか分からなくなるのだろうか。
たくさん集めて何かをしたかったのだろうか。

私はよく言う。「暮らせるだけで良いのよ。お金は天下の回りもの、何とかなるよ。」
それと「悪いことはしない。と決めておくと、楽よ!」
「楽(らく)!」私はすべてこれ。面倒なことは嫌い。楽に生きる、生きたい。 心も体も。  でも、やることはやらないとね。  しっかりやってるって言いたい今年。

「親父なら さしいれぐらい 行けばよい」ネットで見た川柳?武部さんのことらしい。
同年代の子どもの親としては、親の気持ちで見てしまうところもある。迷い道にはまりこんだ彼の将来に希望は残しておいてほしいと思うが。その道の大先輩は多くいるのではないだろうか、と知らぬ世界に思いをはせる今日このごろ・・・
本当にしたかったこと、するべきことを確認してほしい、と思ってもいる。

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2006年1月25日 (水)

映画「プライドと偏見」

 プライドと偏見
久しぶりに友人たちと映画館へ行った。
一緒に観るとそのあとの感想を言い合えるのが楽しい。もちろんお茶付きでね。
愛してる」と認めるには、男のプライドは高すぎた。「愛してる」と応えるには、女の偏見が邪魔をする。プライドと偏見。その厚い壁の前に、男も女もそう簡単には人を愛せない。 18 世紀末、イギリスの上流社会。女性に財産相続権がなかったこの時代、“結婚”は女性にとって人生のすべてだった。そんな時代に、格式の中に自由を求め、噂の中に真実を見出そうとする2人の心の道のりを追った愛の秀作。
 原作はイギリス女流文学の最高峰ジェーン・オースティン。“結婚”という時を超えた憧れをモチーフに、 5 人姉妹と男たちの恋物語が、格調高く、いきいきと現代のスクリーンに映し出される。
オール・ロケによる絵画のような田園風景、貴族社会の華麗なる日常、ペーソスのきいた男女の会話、好奇心あふれる娘たちの笑い声、そして主人公たちの思いがけない恋の行方……。華やいだ空気の中から、やがて、“結婚”とは、自分の本当の心を見つけることだという原作者オースティンのメッセージが聞こえてくる。 以上
公式サイトから
 
キーラ・ナイトレイが美しく賢い主人公、パイレーツオブカリビアンの人だった。 相手はマシュー・マクファディン(Mr.ダーシー)、ドナルド・サザーランド、ジュディ・デンチ(キャサリン夫人)などもでている。
オールイギリスロケの風景は大画面で見ると美しく雄大。いかにもイギリス映画らしい色。最終的には2時間以上を退屈もせずに見終わったと言うことは上等の正しい恋愛ものといえるだろう。
ダーシーが次第にかっこよく見えてくるというのが一致した感想だった。
演技がうまいのか、作り方がうまいのか、我々の感情も主人公にはまってしまったからなのか。だとするとこの映画は中年おばさんをも若く美しい主人公にのせて、恋愛ごころに浸らせたと言うことだ。大成功!じゃない?
家族のために結婚をしろと迫る母とそうしたら勘当だという父。娘を売り込もうとする母、そんな家族を品がないという貴族。
そこから真実の愛が生まれるのか。切ないね。そしてめでたく結婚した暁には母親は立派に上品になれるのだろうな、きっと。親戚の牧師が滑稽な役回り。
だいたい女性に相続の権利がないんですって。どういうことかしら。そう言うことだったのよね。時代は変わる。若草物語を少し思った。

ただ、「結婚」することが幸せという価値観、美人の子供たちが最終的にお金持ちと結婚する、という安易な?ハッピーエンドで終わるところが少々肩すかしというか、観たあとの感動が残らない。時代なので仕方ないのかな。これが恋愛映画たるゆえんでもある。
しかもハッピーエンドでなければそれはそれで怒るかもしれない。 原作ではもっといろいろ事件があるらしいが、読んでみようかな。 「高慢と偏見」

南京ハゼ外に出ると
南京ハゼの木が小さな実をつけて青空に向かっていた。

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2006年1月24日 (火)

コナコーヒー

コーヒーが好きだ。(聞いた?しつこい?)
そう、昔何か子どもの願いのために「願をかけ」しばらく飲まないこともあった。それくらい好き。

娘たちがハネムーンのおみやげに買ってきたのが「コナコーヒー」一袋太字にしたのに他意はない。)
「高かったよ。」のお言葉付き。 それが確かに美味しい。
今まで飲んだコナコーヒーとはえらく違う。100パーセントだからか。
「ハワイ島コナ地区のみで栽培される100年以上の伝統をもつコーヒーのことで、 『ブルーマウンテン』と並ぶ高級コーヒーとして知られています。 」とあった。その生産量は全世界のコーヒー生産量の0.1%にもならないという。
大事に大事に他のコーヒーの間に織り込んで飲んでいたが・・・もはや風前の灯火?誰かハワイに行かないかい? (返事なし
ネットで探してみた。同じパッケージのものは見つからないが、買えるようでもある。
しかしそれもいつも特売で買うのとは数倍の値段。産地が狭いから値も張る。10パーセントと100パーセントでも値段が異なる。(当然!)
うーん数倍飲むのと美味しいのを一杯飲むのと、どちらが良い?
コーヒーから思い出してフランスのジャムサンドビスケットを探す。美味しかったモンサンッミッシェルのは見つからなかったので、結論、「自分で挟んで食べよう。」

カップ4イギリスDUCHESS(ダッチェス)社製友人の土産、数年前に例のクリスマス会でもらった。私にはめずらしいピンクだけど、緑も入って、中にも小花がついている。(カップシリーズ4)(3へ5へ)

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2006年1月23日 (月)

好奇心から探求心へ

我がパソコンの師匠Nさま。貴重な休日を使って私のブログのデザインを検討してくれた。文字サイズも中のまま変更しないように。サイドの文字の大きさも。
いつか数学者、エッセイスト、評論家の「森 毅」さんが、「良く『好奇心を持とう』とか言うが、好奇心ではなく探求心を持つことが大事だ、」と言っていた。
単に好奇心で終わってはいけないというのだ。
その先を「どうしてだろう。何だろう。」と考え、探求することが大事だという。 確かにその通りだと思った。それを忘れないようにと、そのとき思った。
そして「N女史・師匠」はその道を行っているのだと思う。気になったらそのままではおけないのだ。

・好奇心…珍しいことや未知のことなどに興味をもつ心
・探求心…あるものを得ようとしてさがし求める心

疑問に思ったら調べる。「探し求め」「得る」こと。そのままにしないことが大切。
受験生に言うような言葉だ。

ありがたいことに今はネットでもいろいろ調べることができる。
ちょっと前では考えられなかったつなぎっぱなしが当たり前のネット世界。大いに活用して力をつけ身につけようか。まだまだだなあ。 師匠!お世話になりました。またよろしく! ネットで検索していたら(森さんの名前をど・わすれ!)見つけた。
「水のように自由を生きる」…森さんの言葉

雪土曜日、雪が降った。
一日降っていた。8センチは降った。
時に細かく、時に綿のように。電線が最大限にがんばって雪を支えている。
私は窓からじっと見ていた。やがて電線の雪はばさっばさっと落ちて下の雪と重なった。

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2006年1月22日 (日)

映画『ロイヤル・セブンティーン』

原題「WHAT A GIRL WANTS」 1(数字は通年の映画の感想につけます。) 
2003年アメリカ
【ストーリー】ニューヨーク。現在17歳のダフネは、自由で愛を尊重する母リビーとふたり暮らし。彼女は今まで明るく幸せな生活を送ってきたが、ただひとつ満たされない気持ちをずっと抱えている。それは、まだダフネが生まれる前に母と別れてしまった実の父親に会いたい、という切実な思いだった。上流階級の出身であることから、身分の低い母親と無理矢理引き離されてしまった父は今、ロンドンで政治家として活躍している。そんな父への思いが高じ、ある日ダフネはついにロンドン行きを決意する。そして間もなく実父ヘンリーと念願の初対面を果たした彼女。だが、そこには彼女の出現を煙たがる策略家の一家がいた…。

ジャンル「洋画、コメディ」とあるようにどこまでも安心してみられるおきまりのハッピーエンド映画。
イギリスの上流社会ってこうなの?まだあるの?っておもわせる。
その社会をアメリカの目で見ている映画。伝統的な「サー」が飛び交う社会に縁のないアメリカの価値観で描いているからコミカルになり、最後に大事なのは「心よ。」で終わる。音楽がいっぱいで楽しめた。
「アメリカのヨーロッパコンプレックス」と書いていた人もいたが、そこまで思わなくても相容れない価値観、文化の違いはあるのかな。
仲良さそうでも微妙に違うってこと。
違いはあっても(あったほうが)良いけど、それを認め合い、尊敬し合うことの方が楽しいと思うが。 映画などでは何かを良しとし、それを際だたせるために何かを否とすることが多い。「お金」「身分」などと相対するのは「愛」。そう言う意味でもおきまりハッピー映画。主人公はどこまでも明るくはつらつでかわいい。
たまにはこういうのも楽で良いな。洗濯物たたみながら見るのには。

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2006年1月21日 (土)

「獣たちの庭園」ジェフリー・ディーヴァー

「文春文庫」2005年9月。1月11日〜19日、
時間がかかった。
初の歴史物とある。ナチス時代、オリンピックの時のこと。
「どんでん返し職人」ディーヴァーだがなかなか話に入っていけなかった。
内容がナチスドイツでの話であり、その光景は今までに見た数々の映画の映像を思い出させるからだ。
考えるだけでも悲惨な空間での話。

しかしそこでアメリカ人の殺し屋ががんばる。どちらかというと男のロマン。
彼はさらに正義の旅を続ける。ハードなアクション映画になりそうな予感。 最後は少し気持ちが幸せになる。もう少し言えば主人公にも幸せが来てほしいと思う。どこかでそう言う予感もある。

人種ってなんだろう。みんな人間なのに。地球人なのに。今も続く憎しみの連鎖。そのあとBSでドキュメンタリーを観た。本と重なってあの歴史を再度嘆いた。
東京都民も埼玉県民も鳥取県民も同じじゃない。そう思うことはできないのかな。過去を学び、決して繰り返さないということはできないのかな。

「人間は自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎないしかしそれは考える葦である」(パスカル)

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2006年1月20日 (金)

青春18切符

青春18切符
最近はご存じの方も多いだろう。
熟年が「時持ち」となり有効活用しているらしい。
我が家では鉄道好きの息子のおかげでだいぶ前(20年以上前)から使ってあちこち出かけた。休みごとに発売される。
各駅停車でならどこまで行っても1日2300円。5枚綴りになっている。ひとりで5日間旅をしても、5人で一日旅をしても、どうにでもいい。

父の亡くなった2000年の冬休みにも買ってあった。有効期限は20日まで。みんなの時間が合ったので、慌ただしいさなか、20日子供3人と京都へ(娘は何かの試験だったらしいが、さぼって)出かけた。
あとで息子の日記を読むと「母の気分転換、お疲れ!旅」の気持ちだったらしい。私にはそんな気は無かったが。「どうも!さんきゅ」である。
小田原ぐらいからが当日24時を過ぎるので、そこまでは切符を買う。大垣夜行というのに乗って、乗り継いで京都へ9時頃。 西本願寺玄関



















西本願寺へ行って「父がそちらへ参りました。どうぞよろしくお願いします。」と心から願った。
それから大津から琵琶湖のほとり京阪の終点、坂本へ。
比叡山の麓、日吉大社(国宝がいっぱいの敬虔な気持ちになる神社だった。)の広大な敷地を念入りに参り、古くからありそうなそば屋で昼食。
近江神宮や都の遺跡、膳所の手前で下りて琵琶湖の浮城といわれた膳所(ぜぜ)城址公園までいき、琵琶湖畔を歩いてJRの石山まで。
ほんとに良く歩いた。正味6時間。

石山を15時43分に出て米原・大垣・豊橋・静岡・横浜と乗り継いで12時ちょっと前。
最寄り駅には0時1分に帰着。

丸々一日、24時間。こんなに盛りだくさんの一日。帰りの電車は座るたびに爆睡。もうあんな旅はできない、しかし語り継がれる旅でもあった。父の思い出とともに。

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2006年1月19日 (木)

初釜、新年会

煎茶いつも1月にお茶をごちそうしてくれる友人宅で新年会。初登場Tさん宅。総勢8人。今年はまずはお煎茶立てから。 お弁当 手作りの生菓子でお抹茶をいただく。結構なお点前で。緊張した時間が流れる。足のしびれが・・・  (肝心のお抹茶の写真は忘れた。) 菓子2手作りのお弁当。美味しかったです。 ごまプリン

みんな友人たちの手作そそれからデザート。

ごまプリン。 バナナキャロットケーキ洋梨にイチゴ。みんな手作り。すごいね。美味しいね。バナナキャロットケーキ

11時から5時までおしゃべりして、全部平らげました。

今日はどうもありがとう。

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2006年1月18日 (水)

娘とランチ

ランチ娘とランチに行った。
昔友人と良く行った店。
おぼろげな記憶でたどり着く。こういう土地勘は働く。

昔と違って少し安めになっている。どこも変わっていく。 フリードリンクに前菜、サラダ、デザートまでついて1000円前後、安い。鰯のマリネ、椎茸のバター焼きが前菜でした。 次回はパエリヤを食べようかな。 席から

玄関

真ん前にベンツが待っていた。私のは軽だけどね。

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2006年1月16日 (月)

飛び交うメール

最近「観客=全員出演者の集い」という表題のメールが飛び交っている。
今月末に開催?されるその「集い」についてでアール。
高校時代は多摩地区の交通の要所である○川にあっちこっちから通っていた。今みたいな小選挙区制?ではなかったので結構大きな学区であったがいまはその束縛すらなく、もっと広い区域に住んでいるかつての同級生たち。
集合場所は同級生の素敵な喫茶店とか。
企画者を始め、他のみんなも上手な乗り手でそれぞれ今から楽しんでいるようだ。

私はお尻が重く、繰り返すが、めんどくさがりや、でぶしょうでみんなの後ろをずるずる〜とついていくというか引っ張って行かれ・・・   この私を引っ張る力はすごい。
残念ながら私にはみんなに見せるものがない。  で、ブログを見せた。えへ

ありがたいことに、私の仲間ではどこのグループでも企画して誘ってくれる仲間がいる。 そのうち自分から何かを企画して誘うことが、あるだろうか。いや・・(反語に近い、が、先のことは分からないぞ。)

私が何のパフォーマーになるのかは置いておいてそう言う仲間に会えることがだんだん楽しみになってきた。 ふろしきまんじゅう
昨日まで鳥取にかにを食べに行ってた息子の土産。「ふろしきまんじゅう」
生菓子なので賞味期限は今日まで。
実家に持って行って山分けだぁー。
HPで見たら二日かかるところには送りません、って生でしか売らないんだ。家では冷凍できるらしい。

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2006年1月15日 (日)

現金な愛

日差しを浴びて去年、夏越ししたシクラメンの花が小さいので肥料をやり始めた。
数日後、花は次第に大きくなり、見事になっていく。
買ったときに近づいて、葉も花も日ごとに立派になる。
すごいです。日差しの中、自慢げです。

去年買ってきた息子2がいう。「花も現金だね。」
肥料をやったらその効果がこんなにも直ぐ出るからだ。
現金とはどうかと思うが、「愛情はかけてもらった分結果を出す。」「もらった愛の分だけ人にも優しくできる。」

そう、きっとそう。あんなに愛情かけたのに、そう思わないで。
その結果は直ぐではなくてもいつかは誰かに出る。
そう言う意味では(良い意味で)「現金」なのかも。
しかし愛は見返りを待たない「無償の愛」のはず。
    どうなの?シクラメン君!(関係ないか。)

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2006年1月14日 (土)

卵は落としたら割れるか。

暇ですることがないので(ほんとかい?)実験をしてみた。
あは、何気なく、買ってきた卵パックをテーブルに置いて、そばのタッパーを取ろうとして、思わず引っかけて卵を床に落とす。
さて卵の運命はいかに?
けっかはっぴょー
1つはパックから飛び出して中身も床にまかれた。もう1つはパックの中で中身がこんにちは。4つはどこかにひびというか割れ目ができて長くは持たない。後の4つは「こんな実験何じゃ?」とばかりにぴんぴんしてる。すごいね。がんばったね。
ちょと失敗おまけに(何がおまけ?)今晩の献立も一つ決まったぞ。
キッチュ風の卵焼き。ジャガイモ細切り、タマネギ、ハム、ベーコン、キノコいろいろ、インゲンなど野菜をフライパンに入れてバターで炒め、塩こしょうハーブ。卵を入れて焼く。卵は7,8個。 (元気な卵も使う運命か。)
卵が少なかったのかちょと失敗。大丈夫、食べちゃえば分からない。 小分け

大皿に盛ってケーキのように切って食べる。
ケチャップにタバスコを少し。私は大好きなんだけど、あと息子1しか好まないんだった。
仕方ないよね。
食べようね。

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2006年1月13日 (金)

命日

夕日














今日は先日7回忌をした父の命日であった。(写真は昨日の夕日)
私は母は当然お墓参りに・・・と思っていたが「寒いので、また再来週病院でそっちの方へ行くので」、といい行かなかった。で、スーパーへ行った。
結構合理的な母である。 法事の時など思い出話をして、私の性格上しっかり覚えていないことの確認のために息子1のHPの日記を読んだ。
この当時のを読むのは初めてだった。 私は取り仕切る立場で泣く暇もなかったので、息子のを読んで今頃「そうだったね、」としみじみ思い返す今日この頃・・・(以下当時の息子の日記)(本人の許可を得て、HPより。原文のまま)

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2006年1月12日 (木)

巨樹への思い

私は自分の体積が大きいせいか、大きいものが好きのようだ。
というか狭いところが苦手なのだ。

大きな景色、雄大な山、広い空、そして大きな木。
しかし小花が好きだったりする。
図書館で宮脇先生の「魂の森を行け…3000万本の木を植えた男」を借りてきて夫にも見せた。
感動して一日で読んで、話を聞いてみたいと言っていた。
一緒に借りてきた本。「樹木詣で…巨樹・古木の民族紀行」「神の木と会う」今年の目標とは言わないが、これから先の一つの旅の道標にしたい、と再確認。
前から好きで何カ所か行ってはいるが、実際に目にする、時を経た木は物言わず何かを語り、感動を与えてくれる。
どこへも行かず人間の時間とは異なる時空間を生きているようだ。 少しがんばって会いに行ってみたいなあ。4月には母と「神代桜」の所へ行きたい。

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2006年1月11日 (水)

野菜の高騰

正月から野菜が高い。
ニュースで見るとレタスが580円ですと。
暮れの買い出しと秋からのほうれん草と春菊の栽培(と、威張るほどでもないが)おかげで何とかそう苦労しないで暮らせている。
高いものを無理に使うことはないものね。
春菊のかき揚げ、ほうれん草のおひたしなど。

今日は大根があるのでおでん。まだネギ、大根、白菜などあるぞ。
プランターはかき回されて見るも無惨だけど、かき揚げならまだ3回はできる。
今日スーパーに行ったらもやしが無かった。こんな時はもやしは友達
しかし昨日我が家は買ったから無くてもよしとしましょう。
こういう時に工夫するのは結構好き。あるもので何が作れるか、考えるのは楽しい。 高い野菜を横目にささやかな野菜持ち自慢であーる。
逆立ちしても金持ち自慢はできないから。

今日は鏡開き、ストーブにおでんと一緒に岩手で買ってきた小豆の鍋が押しくらまんじゅうでクツクツと湯気を立てている。

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2006年1月10日 (火)

『ダ・ヴィンチ・コード』ダン・ブラウン

2004年5月、角川書店、上下巻 

「キリスト教の根幹を揺るがし、ヨーロッパの歴史を塗り替えた巨大な謎の奔流…世紀の大問題作」とある。もう出遅れた感のあるヒット作。  

ルーブル美術館の展示室から話は始まる。キリスト教に興味のある人が興味あるのかは分からないが、私にとっては様々な知識を与えてくれる本であった。
もちろん本来の謎解き、ミステリでもある。こんな題材を暖めていたのはすごいと思う。 最初に「この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。」とあるが、それがどこまで本当なのかも分からないほどの宗教音痴。
すべてがミステリのためなのかとまで思ってしまう。
美術、宗教、歴史を含めた謎解きと問題点を述べるのがメインで人物描写はほとんど深められてはいない。
しかし事件の起こる舞台を想像しているだけでなかなか楽しい。短期間の話なのでハードカバー二冊もスピード感を持って読めるのだろう。時々この忙しいときに、早く逃げないと、考えないと、と思うところで長々と知識を語り合い、意見を交換する。
彼はそう言う題材を語りたかった。
ラストは仕方ないか、と思わせるいってみれば拍子抜け。だってもし真実なら世界の力が変わってしまう。

 とにかく、世界中でベストセラーになる、ということは万人に受けるのか、関心事なのか。 おそらくその両方で、読みやすいハリウッド的エンタテイメント性も感じた。
映像化され、5月に世界同時公開という話なので、さぞや楽しめるものになるでしょう。
フランスイギリスの名所を巡り、名画を見るのですから。
また箱根細工のような「クリプテックス」などの小物の自分の想像力と映像との競争もまた楽しい。☆4っつかな。読後感からいうと3.8?

「最後の晩餐」も「モナリザ」も、しかとこの目でみた、はずの私。(フランスの旅

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2006年1月 9日 (月)

7回忌

121b68ab 13日で7年目になる父の七回忌をした。
今年は家族が3人増えて、父もびっくり喜んでいるかな。
読経の後で生きていることに感謝してお過ごしください。」といわれた。
そういうことだね。

写真はおととし3月に行った那須温泉神社の推定800年のミズナラの木、「生きる」という名が付いている。

厳格でまじめだった父も最後の数年間はのんびりぼんやり。
80年をまじめに一生懸命生きてきたのに最後の数年間の印象で、それが薄れてしまうのは本人にも我々にも悲しい。
そう思っていた。
今はあっちこっち自由に空を飛び回って家族全員を見守るのに大忙し!だと思う。

生後8ヶ月の甥っ子の子供が小さな天使で笑顔を誘っていた。

訪問看護と出張お風呂サービスのみで自宅介護をする母の背中を、ほとんど毎日見てきた。
「良くやったね。」「そうやって褒めてくれるから。」母はいった。
入院を勧められたとき、看護婦さんが「ここまで自宅で面倒を見る人はいませんよ。」と感心して言った。
入院して、3ヶ月頃から転院先を探すようにいわれ、二人で方々探し回った。
「ここには入れられない。」と思うようなところも多かった。
半年も過ぎた頃、転院先を探す中、最初の病院で父はなくなった。
そこは奇しくも亡くなる一年前父が迷い出て保護されていたところだった。
心身共に使い切ったという印象の父であった。だから家族にも心残りは無い気がする。

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2006年1月 8日 (日)

シクラメンが咲く

つぼみ初めて夏越しに成功したシクラメン
つぼみがいっぱい。肥料不足か花が小さいようだ。
しかしかなりの数のつぼみ。葉一枚に花一輪というから去年並みに咲くはず。肥料をたっぷりあげて、日光に当てて花を楽しもう。

人間、やろうと思えばできるんですねえ。   
    今頃再確認。

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2006年1月 6日 (金)

夕日観賞

夕日私は太陽が好き、いえ、月も星も雲も山も。
見ているのが好き。(不精者です。)
太陽は夕日。なぜなら朝日はほとんど見られないから。  (寝坊ですだ!)
太平洋側の冬は申し訳ないほど晴れ渡る。
時間があるとベランダから山の向こうに日が沈むまで見ている。
丸く光って落ち際はすとんと隠れる。その後が美しい。山の向こうにきらきら光る太陽があるのがはっきり分かる。
そこだけ山の端が金色に光り輝く。残照が屋根を照らし、太陽の影響の大きさを思わせる。 やがて山の向こうでも太陽は消えていったことが分かる。
明日また登ってくるためにいってしまったのだ。少し浮かぶ雲は赤く、「また明日!」そう言っているようだ。

富山の富山の「日本の夕景ベストテン」とか言う宿からの夕日。まん丸真っ赤な夕日だった。

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2006年1月 5日 (木)

『氷の闇を越えて』スティーヴ・ハミルトン

わたしの心臓のそばには銃弾がある。14年前、警官時代にローズという男に撃たれたときのものだ。最近、私立探偵となったわたしの身辺で連続殺人が起き、自宅にローズと署名のある手紙が届いた。手紙には殺人は自分の犯行だとあった。刑務所にいるはずの男がなぜ?わたしは深い謎へと踏みこむが…探偵マクナイト登場。1999年アメリカ探偵作家クラブ賞、アメリカ私立探偵作家クラブ賞受賞作。私立探偵小説コンテスト最優秀作。

ハヤカワ文庫 2000年4月 
ほとんど一日で一気に読めた。(返す関係もあったのだが。)今まで読んだサイコサスペンスのような乗り慣れたジェットコースターに乗った気分。
探偵ものの伝統を守りつつ、そこここでその期待を裏切る。
誰かが10年前の設定のようだ、と感想を述べていたが、それが読者を安心させるのかもしれない。
どこかで読んだ本と似た展開になるのかな、そう思いつつ読み進むとそれは見事に予想に反していく。
文体はシンプルで人物描写に多くを割いてはいない。
しかし、それがインパクトになり人物は生きてくる。読み手のリズムも乗っていける。
「刑務所からの犯行」はそこから別の展開をしていく。5分の一ほど残して解決してしまうから、読者はその先を読もうとする。その予想が当たっているかどうか。親友の奥さんとの愛が中途半端な書き込み、先を読者に預けるのかな。
恐怖をかかえた元刑事の主人公が他人に恐怖を預けることで立ち直り、最後には先の展開を思わせて終わる。彼の痛みも伝わってはらはらどきどき。
「ノーセカンドチャンス」の主人公ではその点がきれいすぎて痛みが伝わらなかった。彼(ハーラン・コーベン)の色だろうか。 氷の闇を越えて

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2006年1月 4日 (水)

『おおきな木』シェル・シルヴァスタイン

大きな木シェル・シルヴァスタイン/さく・え ほんだきんいちろう/やく
出版社名 : 篠崎書林 発行年月 : 1976年01月 童話である。「1本のりんごの木とかわいいちびっこはなかよし。1本のりんごの木が1人の人間に限りない愛を捧げる美しくも悲しい物語。」

望まれるままに自分のものを最後は切り株になってまで捧げるりんごの木の愛の物語。
惜しみない愛情、はわかる。
しかし、これで良いのか、これが終わりではいけないのでは、そう思わせる。
親の愛は深い。子が望めばできることはするだろう。時には命も。その実感はある。
ただ、何でもかんでも望まれればというのはどうだろう。 自分が切り株になっても捧げる愛。それに見合った成長を相手に望むのは愛が不純だから?

愛を多く受けた人間は愛を多く与える人になる、そう思って来た私。
最後に老人は切り株で休み、何を思うのだろうか。
彼も誰かに愛を与えてきたのだろうか。(そう思いたいが)

最初読んだときは「ふーん」後から「え?いいの?これで。」
無償の愛にも、結果は見たい。 しかし考えさせる本ではある。

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2006年1月 3日 (火)

『ノー・セカンド・チャンス』ハーラン・コーベン

ランダムハウス講談社、上下巻2005年9月 ①②
スポーツエージェント、マイロン・ポライターを主人公とするシリーズは軽妙な会話が楽しく、事件もさほど暗い印象は残らなかった。
 1995年から2000年までの7年で7冊を書き、私はほとんどを読んだ。
しかしその後彼は2001年から突然方向転換。
衝撃の幕開けからくるくる変わる展開、犯人はもちろん事件の事情もなかなか読者にも分からないで進んでいく。
「衝撃の幕開けで一気に読者の心をつかみ、ジェットコースターのようなめまぐるしい展開で読者をぐんぐんひきずっていき、思いもよらないどんでん返しでうっちゃりをかけ、最後の最後まで読者を楽しませてくれる・・・」と解説にある。
その通り。どんでん返しのサスペンス。
行方不明の子供を捜す医者の話。親子関係、アメリカの養子事情も思わせる。最近の作なのでツインタワーやイラクが会話に出てくる。下巻にはいるとあっという間に読み終えた気がする。新刊本をあまり読まない(読めない?)のでそれが新鮮。
最初から本に入っていける、テンポがあるので読みやすい。
☆4っつーってとこかな(5つ中でね)。
面白かったが、この手の本はもっとすごい人がいる。 人は同じことをしていると違うこともやってみたくなるものだ。
ミステリチャンネル「闘うベストテン」7位。これを見て予約したのだった。 年の初めに「ノーセカンドチャンス」→「人生は二度無い」なんて良いと思わない?

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2006年1月 2日 (月)

今年は

読書仲間でこの一年で50冊目標という話が出ている。
娘は去年正月に読んだ本を記録するという目標を立て、結果として107冊だったらしいです。
体調が良くないので最近は読んでないと言いつつ、友人に会いに出かけていきました。

というわけで私も「読んだ本は記録する。」
面白い本は感想を書き、結果として感想文の長さは本のおもしろさに比例する、こととなるだろう。
私も50冊といいたいが、他にもやりたいことがあるので、映画とあわせて、ということでどうでしょうか。 (誰に聞いてるんじゃ。)

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2006年1月 1日 (日)

☆謹賀新年・頌春・賀春・迎春☆

どあ今年も始まりました。
今年のドア飾りはこんな感じでした。
2006年、良いときが過ごせますように。
春を待ち、春を喜びたたえる言葉それだけ春って言葉には良い意味があるのでしょうね。
厳しい冬を過ごしてこそなのかもしれませぬ。ぬくぬくと過ごしていては春もぼんやりか。
いえいえ人それぞれに冬もあり、春も来る。24時間、大事にいきたいな、と思う今日であります。

おせちが今年も息子1の社長から、いえ社長様から届きました。2段重ねのなかなか手の込んだもの、二日間、実家にて完食。
33種類入っているらしい。もち、自家製もあります。
母は世代交代とは思うけれど、思うように働かない娘のため、がんばって作り、疲れて電話にも出ず、心配させました。
そこまでしなくても良いのに、でもできるまではがんばって作る方が良いかも、そう密かに思う娘であります。おせち

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