« 西高東低 | トップページ | 公園墓地 »

2005年12月17日 (土)

「春にして君を離れ」アガサ・クリスティ

新春にして「春にして君を離れ 」 クリスティー文庫
原題 Absent in the Spring 発表年 1944
著者/訳 アガサ・クリスティー/中村妙子2004年
新しい装丁の本が出た。文字も大きい。表紙も違う。
誰も殺されないクリスティがメアリ・ウエストマコット名で書いた作品。

優しい弁護士の夫、何不自由ないくらし、よき子供に恵まれ、女は理想の家庭を築き上げたことに満ち足りていた。が、娘の病気見舞いを終えてバグダッドからイギリスへ帰る途中で出会った友人との会話から、それまでの親子関係、夫婦への愛情に疑問を抱きはじめる。」「女の迷いを冷たく見据え、繊細かつ流麗に描いたロマンチック・サスペンス。」とあるがサスペンスというのではなく自分の生き方を考えさせる本になった。

生きている以上、人は誰も考える。
例えば子育て、「家族のためにやるべき事はやってきた。子供のために習い事やしつけをしてきた。」そう自信満々に思える人もあるだろう。
逆に「もう少しかまってあげたかった。こんな子育てでよかったのか。」と自分を責める人もいるだろう。
 しかし相手の立場の人は逆に思うかもしれないのだ。独りよがりではいけないということ。  
主人公のジョーンは自己満足の強い女性である。
自分の外見にも満足、自分のやることは完璧で子供も夫もそれになんの不満もなく「なんて幸せなんでしょ。」と考えていた。 
そう信じることで自分が進んできた。
果たしてそうだったのか。
何もない場所でただ一人自分や周りを見つめ、自分を中心に見ていた風景を客観的に見直していくことになる。
不安が現実とかさなって、愛に満ちていたはずの自分の暮らし一つ一つが思いこみだったのではないかと思い出す。
ページの大半は、砂漠の数日間の過去を回想する場面。
主人公が非日常的時間と空間のなかで過去の出来事に思いをはせながら、自省し自己を再確認していくプロセスが書かれている。
人はいかに自分中心に物事を見ているのか、見たくないものに蓋をして生きているのか、本当のしあわせはなにか、その裏側と自己満足などなど。


クリスティのあふれる思いが、人生とは何かを語りかけてくる。
読みながら私は「そうなのよ、そうよ。だから前へ進んで。」後押ししながら結末を希望していた私。
そして私にとっては驚きの結末。

 

栗本薫の解説に(彼女はこのような家庭に育ったらしい。)主人公がこうなったことに関して夫にも責任がある。家族も同様だとあった。
そうなのだ。まさに怯懦と怠惰。
「最終的にはその当人の責任でしかない。」
そしてまた「その前に思ったことをきちんと伝えない周囲の人間には責任があり、その先に行けばその人がどう生きるかは当人だけの問題である。」
「その当人の生き方で迷惑を被った人がどう生きるかもその当人の問題である。」
全く同感である。今までずっとこう思ってきた。これはまた前のテレビ「熟年離婚」の時にも思ったことでもある。
私はこのように生きたくない、と思う。このようなことを考えさせた小説は他に読んだことはなかった。だから、この小説は、私にとって、そしてまた同じような苦しみをかかえた人間にとってだけ永遠に切ないバイブルである。」ともあった。


しかしそうだろうか、そう言う家族を持った人だけのバイブルとは思えない。
誰もが心のどこかにいつも持っていたいもの、自分自身への問いかけ。そして結局は自分のための人生を歩んでいるのだという自覚。
本人はその悲劇を、結局終生気づかずに終るであろうと思わせるラストのロドニーのせりふ。
人生における一つの最悪な結末、と思うがそう思わないこともできる。
気付かずに終わる幸せ。その人によるのかな。私はせっかくの人生だもの、せめて自分の愛の行方が正しい方向へあってほしい、と思う。
貧乏や病気は実際にあるものだからある程度は仕方ない。
しかし、心の中はどうにでもなる。だからありのままで生きたい。
とはいってもそこはそれ、年を経て何が何でもということもなくなってはきたが。ここだけはというものは持っていたい。

 

ピンク新しい本は文字も大きく読みやすい。
こちらはハヤカワ文庫。数年前に読んだのともまた違うことばが心にのこる。結末を知っていても。
クリスティはこのテーマを何年も心の中で追い続けてきたが、書き始めて一週間で書き上げたという。
完成したときには精も根も尽き果て、そして1語も訂正せずにそのまま出版した、という。
人間の持ついやらしさや哀しさ、怯懦と怠惰などを冷徹に見据え、しかも淡々と書き進んでいくその迫力には静かなすごみがある。
これを読み、自分は主人公と重なるところは全くない、と胸を張れる人は多くはないと思う。また、そう思うことこそが誤りとも思う。(実は最初に読んだときは私は違う、と思ったのだ。)
読者は皆、読んだあと自分を振り返って、少し背筋が寒くなりながらも、ほっと胸をなで下ろすのかもしれない。 私はジョーンではない、と。

関連記事「夏の嘘」(2014.01,26)

|

« 西高東低 | トップページ | 公園墓地 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

書きましたねえ。待っていました!私ももう一度読んでみたくなりました。
ありのままの自分とはどんな人間なのか、そしてこの自分という人間の人生をこれからどういう方向へ進めて行くか。過去を振り返り、今を見つめながらふと考えてしまう。そんな年代なのだろうとしみじみ思います。

投稿: つっさん | 2005年12月17日 (土) 11時39分

はーい
そう自分のこれからをどう生きるか、そんなことに思いがいって
どんどん離れてしまい戻すのに苦労しました。
数年前ともまた違った思いを持ちました。
過ぎてしまった年は戻せなくても、これからをどう進んでいくか、
ですね。まだ遅くはない、よね。ともにいきましょう。ぼちぼちと。

投稿: itti5 | 2005年12月17日 (土) 13時03分

はじめまして。

RSSリーダでメアリ・ウエストマコットを検索していましたら、こちらとわたしのブログのみで、早速エントリーを読ませていただきました。

メアリ・ウエストマコットについては、昨年の秋にアガサ・クリスティの別名であることを知り、初めて読んだのが「春にして君を離れ」でした。

人が自分自身を客観的に見ることが如何に難しいのかを感じさせられ、またその大事さを訴えているのでは・・・と思いました。

この小説に感じ入って、すぐメアリ・ウエストマコット名で書かれている残り5冊を買い、年末に「暗い抱擁」読み終えました。これも人の内面・こころの難しさを考えさせられました。いずれも、推理小説とは異なるものですが、気楽に読めない側面をもった小説ですね。

いま、3冊目の「愛の重さ」を読んでいます。

こちらからTBさせていただきます。

投稿: Aris | 2006年1月 8日 (日) 13時13分

コメントどうもありがとうございます。「この小説に感じ入って」確かにそうですね。私も他のも読んでみようかな。

投稿: itti5 | 2006年1月 8日 (日) 14時00分

すばらしいレビューに感服しました。
まさにまさにそういうこと!!
人間は自分から離れて完全な客観視なんてできない、でも少しでも対する人の身に置き換えて考えてみることはできると思って過ごしていますが時にそれが思い上がりだと打ちのめされたり、そんなことの繰り返しなんですよね。
クリスティの見事な人間の掘り下げに圧倒される作品ですね。

投稿: VIN | 2012年12月23日 (日) 11時01分

vinさん
こんにちは
昨夜お尋ねして、同じ気持ちの人に出会い、
思わず、何も考えずに
コメントしていました。

そろそろ
私も読み返す時なのかもしれませんね。
自分のブログも、
一気に書いていて
ちょっと若い自分にあえて、懐かしいです。

結構自分のためにも役に立ちますね。

投稿: いち | 2012年12月23日 (日) 19時47分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 「春にして君を離れ」アガサ・クリスティ:

» アガサ・クリスティー、別名メアリ・ウエストマコットの「 暗い抱擁 」 [Arisのblog]
暗い抱擁 アガサ・クリスティー, 中村 妙子 アガサ・クリスティが別名のメアリ・ウエストマコットで書いた小説が、6篇あるのは以前述べたとおり。全てミステリーではない。前回は「春にして 君を離れ」を紹介。 これがきっかけで、全編を読破の勢いで、6冊を買い... コメントどうもありがとうございます。「この小説に感じ入って」確かにそうですね。私も他のも読んでみようかな。 [続きを読む]

受信: 2006年1月 8日 (日) 13時16分

« 西高東低 | トップページ | 公園墓地 »