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2005年11月30日 (水)

「シュリーマン旅行記 清国・日本」ハインリッヒ・シュリーマン

シュリーマン旅行記あのトロイアの遺跡発掘で知られるシュリーマンが

その6年前に世界旅行の途中で幕末の清国・日本を訪れている。
その時の記録。

清国と日本、ヨーロッパ人にとっては遠い国であり、あこがれの国でもあった。


彼は何の偏見にもとらわれずに、1ヶ月の日本滞在の印象を客観的に観察して、ありのまま見たままを書いている。これが実に興味をそそる。
彼は決して欧米至上主義でものを見ていない。
これがまたすばらしいと思う。

我々はとかく海外、それが未開発の国だったらよけい、いろいろな自分たちの文明の利器を頭の中や実際に探してしまうかもしれないから。

そして前にいた清国との描写の違いが日本人としての気持ちをくすぐる。
「船頭たちは…。労賃を請求した。驚いた。シナの船頭たちは少なくともこの4倍はふっかけてきた…」

また日本の寺に対しての印象は「木造で、…そこに漲(みなぎ)るこのうえない秩序と清潔さに心を打たれた。…中国の寺は、きわめて不潔で、しかも退廃的だったから、…日本では大きな喜びを覚えた。」こんな具合。

「家々の奥の方にはかならず、花が咲いていて、日本人はみんな園芸愛好家である。」「日本の住宅は清潔さのお手本。」といい、日本の暮らしを感嘆している。

また、家具のたぐいがいっさい無い、機能的な暮らしに驚く。
ヨーロッパでは食器戸棚、衣装タンスやテーブル、椅子などの家具の豪華さを競い合う。だから広い家がいるし、調度品をそろえる資産も必要。だから結婚するのも大変という。そこで彼は気付く。

ヨーロッパで必要不可欠と見なされていたものの大部分は、元々あったものではなく、文明がつくりだしたものであることに気がついた。寝室を満たしている豪華な家具調度など、ちっとも必要でないし、便利だと思うのはただ慣れ親しんでいるからにすぎないこと、それら抜きでもじゅうぶんやっていけるのだとわかったのである。」

そうだ、今の我々の暮らしはどうなのか。
家具に埋まってかたづかない部屋。これが欧米化した暮らし?。

記録ということで詳しく見たままを書いているが、それが面白くもある。
当たり前だが、見えているものは同じなのに、受け取るものの言葉で表現されるおかしさ。かれは文化の違いをありのまま受け取り、その国独特の文化の価値を見いだしている。今の地球人にも必要な考えであろう。
認め合い理解することで共生もできる。


全体的に中国については批判的な筆致で、日本については絶賛にも似た感想である。
つまりここにあげてはいないが前編の清国では良い印象を持たなかったのだ。
日本人としてこれはうれしくもあった。私も小さい日本人である。 しかし今の日本にもその良さが残っているだろうか。

失われてしまった日本人の心も反省を含めて思わせる。
こんな記述もある。

「彼ら(日本の役人)に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を送ることであり、また彼らのほうも、現金を受け取るくらいなら『切腹』を選ぶのである。」
うーん、彼は今の日本をどう思うだろうか。

最近読んだ評論文に「民族とは基本的には文化の差異によって規定された集団である。」とあった。
文明と民族について、しばし考える。 
欧米化されていく日本、このままだと・・・
そして民主化の名の下に世界を欧米化するという構想もまた危ういことなのだと。

まあ、地球人としては皆同じなのだ。
そう思えるかどうかが、大問題。 短いのでぜひおすすめ。

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